どぶろく

ゴールデンカムイの感想や個人的に気になったことをまとめています。

217話「突撃!となりのサイコパス」

灼眼のスナイパーてそれ…厨二病アイデンティティを敢えて活字にされた今の気分はどうよ尾形?
「どうやら、俺を本気にさせたようだな」
尾形はおもむろに右目に巻かれた包帯をほどいていった。するすると、尾形の手から汚れた細い布切れが落ちていく。
「あれは…」
解かれた包帯からは、青く光る尾形の目が見据えていた。その目でスコープを覗く。その瞬間に尾形はなんの躊躇いもなく引鉄をひいた。弾丸は1000メートル先の杉元の頭部目掛けて飛んでいった…そう思った刹那、弾丸が杉元の頭部にめり込んで…。
…ってところまで容易に想像できる。灼眼のスナイパー。電撃文庫あたりから出そう。

煽り分だけで300文字近く使ってしまったが、今回の本題はタイトルにも使用した、尾形のサイコパス性について。
これまで何度も言われてきたであろう、尾形サイコパス説。
しかし私は、尾形はこの物語の中で本物のサイコパスに近づいていってるのではないかと思う。
サイコパスの気質はたしかにあった。母親を毒殺した時から。
サイコパスの特徴でもある、罪悪感を覚えない。他人の人生において無責任。そして確信的だったのは、あたかも死に際の杉元に寄り添ったかのようにアシリパに語る場面だ。
サイコパスは、他人をコントロールするのがとても上手い。そのためなら相手の信頼を得るために、平気で嘘もつく。

少し話は逸れるが、某新聞のお悩み相談投稿で2番目に多いのが、他人をコントロールしたいという趣旨の相談らしい。(一番は相続問題)
会社のあの人、辞めてくれないかな。
あの隣人、引っ越してくれないかな。
など、人の悩みは他人を意のままにコントロールできれば解決するものが多いのだ。
しかも、他人が自分の思い通りの行動をとってくれさえすれば、自分のストレスは最小限に抑えられる。
会社でパワハラをしてくる上司が、いっそ転勤にでもなってくれさえすれば、悩みはひとつ解決する。自分が行動を起こさなくても、相手が動いてくれれば、悩みの種がひとつ減るのだ。なんてコスパがいい。
しかし、他人をコントロールするなど、どだい無理な話なのだ。だからメンタリストが書いた本が売れる。普通の人は、本や何かから知識を得ない限り、他人を誘導することは難しいのだ。

だが尾形は、それを息をするようにやってのける。
今回も、波止場のおじさんの涙腺に訴える名演技を披露した。
何が日露戦争帰りだ(これは嘘ではないが)何が棒鱈だ(棒鱈に罪はない)何が年老いた両親だ!!それはおまえが殺したんだろうが!!!
…というように、おそらく書体からいって声音もそれらしいものに変えて演技したのだろう。
馬を盗み、服を盗み、あげく無銭乗船ですよ!ここまでしれっとやってのける男に罪悪感があると思いますか?ないです。それはもう本人が言ってたけど。人を殺して罪悪感を抱かない男ですもの。ちょいとお涙頂戴の話をでっち上げて棒鱈で船に乗るくらい、朝飯前なんですよ。
このように、ずーっと無感情に思えた尾形が、他人をコントロールするために他人の感情に訴える。無感情で無慈悲な男が感情的になれば、これはただ事ではないなと信憑性が増すわけだ。ジャイアン、映画版の心理と同じで。
しかし、尾形がいくら生粋のサイコパスであっても、アシリパをコントロールすることには失敗した。
ここで前途した、尾形がサイコパスになっていく過程を記した。と言った話に戻るわけだ。

尾形は一度失敗した。だがまたもや果敢に?挑戦しようとしている。尾形はまだ諦めていない。アシリパから暗号の鍵を聞き出すことを。
ふつう、諦めない?
だってあんた言ってたでしょ?「ああ、やっぱり俺では駄目か」って。にも関わらず、またしぶとく聞き出そうとアシリパを嗅ぎ回っている。
尾形は挫けない強い子!…ではない。罪悪感がないから、なのだ。
罪悪感を抱かないから、また同じことに挑戦できる。要は反省をしないのだ。

ここで私たち読者は試されているのかもしれない。
最近Twitterで、映画「ジョーカー」についてのあれこれを見かける。
終わった人がよく言っている「俺はジョーカーだったのか…」
そもそもバッドマンシリーズを見ていないので、私はジョーカーも見に行く予定はないのだが、推察するに、ジョーカーという凶悪キャラが出来上がるに至った、どうしようもない境遇の物語なのだろう。
そこで見た人は、「これじゃ俺もジョーカーになっちまうわ…」と、彼の不遇の境遇に同情したのかもしれない。
言っとくが、ジョーカーは見ていない。あちこちから聞きかじった感想を元に想像しているだけだ。
だが、私はこれを同情してはいけない気がするのだ。というか、自分も不憫な出生ガチャだったら、凶悪な人間になっていたかもしれない。かわいそうだ。と思うか否か、倫理観を試されているのではないかと。
たしかに出生ガチャ(生まれの境遇の優劣)は、自分が望んだことではなく、生まれた時から勝手に与えられたものだ。
しかしその後の人生をどう生きるかについては、精査できるものではない。「しょうがない」で片付けられてしまっては、あらゆる犯罪が情状酌量になってしまう。

私たちは尾形に対しての裁判員なのかもしれない。
妾の子として生まれ、両親に愛されず、義弟は恵まれて育ち、上司に駒にされ、挙句の果てには狙撃にとても大切な右目まで失った。
こうして挙げると、尾形に対して同情する要素は揃っている。むしろ同情ビンゴ。
だからといって、尾形がこれまで起こした罪を帳消しにできるのかどうか。
きっと正しい答えなど、最後まで見つからないだろう。白黒決着なんてつかなくてもいい。だってこれ、漫画だもん。尾形、実在してないもん。
けれど尾形は作中において、私たちに考える機会を与えた。
彼がこうなるに至ったのは、果たして仕方の無いことなのか。それとこれとは別なのか。私たちは、議論のテーブルに着くことができた。善悪、倫理、それらと育成環境との拮抗について。明確な線引きやマニュアルもない。だがそれらについて、私のように好き勝手語るのは自由なのだ。だって尾形、実在する人物じゃないし。
ジオンは悪か、いやザビ家がすべて悪い。などと議論できるのも、ガンダムがフィクションだからなのだ。
実際の戦争や犯罪は、選ばれた誰かによって判決がくだる。それについては庶民はどうすることもできない。終わったことをあれこれ言っても判決は覆らない。
フィクションであればこその判断の自由。
あなたは尾形百之助を、どう思いますか?

216話「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

えーっと…今日はどこから書けばいいのかな。
この漫画さ、熊の肛門に刺しすぎじゃない?3回目よ?
日本刀、ちんぽ、銃。なんかこうやって並べるとちんぽが一番まともに見えるの不思議だな。
だって、よくエロ漫画で見る挿入断面図を熊と銃でやってるって、おかしいでしょサトルさんよォ。ドプッじゃないよ。「やりやがった!」はこっちのセリフだよ。同時に拳でテーブルを叩いたら、コーヒーこぼしちゃったよ。どうしてくれんだ、まったく。
アナルは性器ではない。もちろん銃も性器ではない。断面図は内蔵。どれも青年誌に引っかかるものではないという、非常にスレッスレのところを攻めに攻めてきた。コーナーを攻めろ!サトルが瞬足履いて規制の角ギリギリを攻めてきやがったぞ。
数年前のクノイチノイチで、ちんぽに似たヒトデで責められるシーンを抜く技法だ。サトルは何と張り合っているんだ、いったい…。

今週はそんな感じで、白熊、肛門処女を奪われたあげくに心臓を撃ち抜かれ死亡。というニュースで頭がいっぱいで他の情報が何一つ入ってこない回だった。
流氷の上で、ドキッ☆アイドルだらけの運動会を思い出すようなこともしやがって。
君ら、埋蔵金探してんのに目の前の白熊の毛皮に目の色変えてんじゃないよ。それ以上どころじゃない額の金を手に入れる鍵を持ってるの!あんたと!あんたらの目の前の女の子が!
流氷だけに指針がブレブレである。
そしてヴァシリは喋らない方が馬鹿に見えるという、なんとも残念すぎる男である。
頭巾を引っ張りあげられた時は思わず吹いちゃったよ。場の雰囲気を読めない男、ヴァシリ。ヴァシリは銃でしか語れない。そもそも日本語どころか、頬を撃ち抜かれてんだったな。
片目のない男と、口のない男。足して3くらいで割ったらちょうどいいんじゃねーの?(適当

終盤までのインパクトが強烈すぎて、なんで鯉登はハンモックに?となった。おぼっちゃんは療養中でも優雅だ。バカンスかよ。駆逐艦にはベッドはないのか。そうか(知らんけど)
大きな口では心配してることも伝えられない。生きててよかったとも言えない。この当時の軍人とは実に不便だなと思った。
長男を戦争で亡くして、それでも次男にも危ない橋を渡らせなければ体裁が保てないなんて。私ならとうに狂ってるわ。
死に急ぎ野郎ばかりだ。まったく。

215話「アイヌのジャンヌダルク」

クリオネって、シラウオみたいに踊り食いできるのかと一瞬思ったが、やっぱり名前のない生き物だったか。じゃあクリオネの生まれてきた意味とはいったい…?(観賞用です)

尾形はファッションセンスがないから、軍服しか着ようとしないんだ。
馬といい、服といい、尾形は盗んでばかりだな。15の夜かよ。窓ガラス割っちゃうのかよ。支配からも卒業してるしな。
しかしほんとうに逞しい男だよ、アンタ。
片目を失っても尚、接近戦に切り替えようとはしない。あくまで狙撃。死ぬまで銃と共に生きるというのか。指がもげようが、ぶっ壊れるまで己の身を使い果たそうとするように。…なんてことは思っちゃいないだろうよ。
あの男は、自分が生き延びるための必要な道具として銃を酷使する。狙撃は尾形のアイデンティティなのだ。片目を失ったくらいでは、アイデンティティを奪われたとすら思わない男だ。
尾形が右目を失った時、私はもう尾形から何も奪わないでくれと泣いた。
しかし尾形、こっちの消失感と絶望なんて知ったこっちゃねぇと言わんばかりの復活劇を繰り広げやがった。
医者を騙し、脅し、鯉登に嫌味を言い、布切れ一枚羽織って馬に跨り両手を広げ、実に楽しそうに逃げていった。
あれを見た時私は「あ、こいつもただじゃ死なん男だな」と思った。なにも案ずることはないと。我々の心配をよそに、我々のあずかり知らぬ目的のために、悠々と生き延びていた。落胆していたのは私たちだけだった。
思えばそうだ。
この男は笑っていたのだ。
アシリパが矢を放ち、尾形の右目を射抜いた時、狙撃手として大切な右目に毒矢が刺さろうが、失望するどころか笑っていたのだ。
尾形という男は、すでに命などどこかに落っことしてきたのかもしれない。落とした命がいつなくなろうが、始めからないものに執着など抱かない。そんな軽いもので、相手の信条を汚すことができるのなら、尾形にとってはお釣りがくるくらい、命に価値が生まれるのだろう。

たった一コマしか出ていない尾形について語るのはこれくらいにして、ついにアシリパが腹を括った。
「弾除け」というワードは勇作が二百三高地の旗手であった時にも出てきた。
勇作にあてがわれた「弾除け」の意味は、偶像としてのいわば魔よけのような不確かなものであった。人の心を鼓舞する、概念としての「弾除け」だ。
だが今のアシリパに与えられた「弾除け」の意味は物理的に、だ。アシリパはこの金塊争奪戦における重要な人間だ。アシリパが人皮に記された暗号の鍵を吐かない限り、彼女は文字通り金塊を欲する人間たちの盾となる。
私はこの異なる「弾除け」にあたる二人の対比がおもしろいと感じた。
一方は概念、一方は物理。
尾形はアシリパも勇作と同じく、偶像であると捉えた。
だがアシリパは今、自分が単なる偶像として先頭に立つだけでは済まされないと腹を括ったのだ。
人を殺さず、それゆえにシンボル的な存在を要求された勝利の偶像である勇作に、尾形はそんな清い人間がいていいはずがないと銃を向けた。アシリパにも同じ理由で銃を向けたが、意図せずアシリパは尾形に向けて毒矢を放ってしまった。結果的に尾形は死なず、アシリパの不殺の信条は守られたわけだが、アシリパはそれではアイヌを守ることはできないと判断した。
必要があれば杉元と共に地獄に落ちようと。
尾形はもしかするとこの物語の、客観性という役割も担っているのかもしれない。物語全体を客観視するのではなく、国を、民族を守るため、途絶えさせぬためには、人を殺めることは必要かどうかを読者に議論させる立場にあると思う。
尾形の考えに同意するかどうかではなく、尾形の言動が私たちにそれを考えさせる一石を投じる役目を果たしているのではないかと。

そしてここで、偶像であった二人の信条は分岐したのだ。
不殺を貫き命を奪われた勇作に対し、アシリパは先頭に立ち、自らも手を汚す覚悟を決めて。
この決断に至るには、杉元の存在が大きいが、ウイルクを知ったこともかなり影響している。
彼女は父が躊躇わず人を殺めてまでも守ろうとしたアイヌという少数民族が、今、危機に晒されているという現実を受け止めることができたのではないか。ぼんやりと、今の生活が続くと思っていた。しかし自分の父親はかなり早い段階で、文化が消え、信じる神さえもあやふやになってしまうことを恐れた。
文化や信仰が消えてしまう。
今の私たちにはピンとこない。なぜなら文化も信仰も、生活においてそれほど重要なものではないからだ。
しかしアイヌ民族は違う。
彼らが生活していく上で必要な、生きる術は、代々受け継がれてきた信仰によって作られてきたものだからだ。
神から生き物を与えられ命を繋いでいる。
その教えがあって、彼らは宿る命を大切にしそれを取り込んで命をまた次の世代へと授けてきたのだ。
そのアイヌの信仰や文化が途絶えた時、彼らが大切にしてきた『生き方』までもが消えてしまう。

今でこそ時代に沿って生き方を変えていかねば追いつけないが、きっとそのあたりは私たちとは価値観が大きく違うのだ。
そして、そうやって戦ってきた人間がいたおかげで、私たちは今日本という国で日本人を名乗ることができている。だから戦うこと、それで命を奪うこと、奪われること。戦争はあってはならないが、無意味だったとは否定できない。無意味と称してしまうなら、命を落とし、悩み、選んだ過去の人間達を否定することになってしまう。
だが今の私たちは、命のやりとりをせずとも守るための知恵と方法を得ている。
アシリパが人を殺めることも厭わないと決断したことを、非道だとは責められない。それがあの時代だからだ。
ゴールデンカムイは史実ではないが、かつてアシリパのように決断した人間の先に、きっと私たちは生きているのだ。

214話「流氷の海に、勝利を刻め!」

先週のブログでボロ船なんて言ったことを訂正します。
雷ちゃんじゃないの。
てっきり正面からの画でボロ船にしか見えなかった。ボロ船どころか駆逐艦じゃねーの!
民間の連絡船に大砲を撃って大丈夫なのか。当時の軍法がどこまで通じるのか知らんが。現代で考えると、海軍の駆逐艦防衛省の許可なしに、民間の連絡船に砲撃したことになるよね。えらいこっちゃ。
シンゴジラで、自衛隊に爆撃させることがどれだけ面倒なことかを、懇切丁寧にやっていたが、当時は大日本帝国ですし…軍人さんの言うことは〜?絶対!みたいなノリだったのかな…。知らんけど。
それにしてもやりたい放題、撃ち放題が仇になってしまったな。
杉元の煽りスキル。いやそれより、みなさんお気づきかと思いますが、あえて割れ目をカタカナで表現したサトルの意図を汲んでほしい。
ご開帳です。流氷ご開帳シーンです。
数多のヤンジャン掲載作品が、女の子のご開帳シーンをあらゆる手法を駆使して、青年誌の枠組みに収まるよう表現してきた中、湯気や都合よく隠してくれる布など一切なく、開帳シーンを堂々と描いてしまうサトルのプライド。…じゃねーな、ただの遊び心だな。白石もパッカーンやってるし。
なんで流氷ご開帳にこんなに文字数を使ってしまうくらい、昼間の休憩室で興奮してる自分もよくわからん。助けてくれ、今回の話の主題はなんなんだ。

話の主題はおそらく(おそらくもクソもないが)鶴見からの逃亡、連絡船からの脱走劇である。
アシリパほんとうに賢い子。
名付けて「みんなで尾形作戦」
一瞬ヴァシリが尾形に見えて、あれ?いつの間に背後をとったん?って思ったけど、そういえばヴァっちゃんついてきちゃったんだよね。バーンしたもんね。思いっきり頭を。
布から顔だけを出したアシリパかわいい。マトリョーシカにして商品化してくれ。
なんか初期メンに戻って和やかな雰囲気だ(withヴァシリ)
鶴見の「ゆっくり話したいことがあったんだがな…」に、フォオゥ!サーイコパース!!と改めて戦いてしまったわけだが…。
なんでかってーと、シュンとした表情と、ただ話をするだけという理由で読者の同情を引こうとしているのがさ、もうサイコパスっぽくない?いや、この漫画の読者ならこれぐらいで鶴見に同情したりはしないだろうけども。
アシリパに対して敵意はないアピール。なのに、アシリパたちは逃げた。中尉かわいそう!ただ温かい紅茶でも飲みながらお話したかっただけなのに!逃げられて!
なんて思うか!(そもそも誰もそんなこと思わない)
モスの背中にねぶるように張り付いていたあの顔を見たあとじゃ、そんな同情1ミリも湧かないわ。
もう鶴見は完全にモスを支配している。
杉元の煽りにまんまと乗せられ、逃げ道を作ってしまったことで、モスはさらに鶴見に頭が上がらなくなるだろう。階級的にはモスのが上なのにな。
別部隊とはいえ、自分より何階級も上の上官をも操ってしまう鶴見の人心掌握術。もう雷を意のままに操ることができるようになった鶴見は強い。
なのに相手はシーツを被った歩兵。
なんだこの戦力差。狙撃手ヴァシリがいるとはいえ、駆逐艦VS白布の歩兵4人だぞ?
クリオネでキャッキャウフフしてる場合じゃないが、海軍を巻き込んでまで欲するに値する金塊の値打ちがよくわかる回だったと思う。
いや、網走監獄からそうだったけども。網走の時は、狙いがアシリパというより、ウイルクだった。囚人を奪取するために、日本一警備が厳しい監獄に乗り込むためと言われれば、駆逐艦が川を渡るというとんでも作戦も納得できる。
けど今回、相手はアシリパだ。
もっと言ってしまえばアシリパの脳みそだ。さらにもっと言えば、アチャとの記憶が保存されている大脳皮質だ。
それを手に入れるために、駆逐艦まで引っ張りだしてきたけど、杉元の脅しと煽りスキルに加え、アシリパの聡明な判断で、見事窮地を切り抜けた。ドンブラコ!(盾にも船にもなる流氷めっちゃ便利だな!)
人間、知恵を絞れば軍艦に勝る、というお話でした。知らんけど。

さ〜て、来週のゴールデンカムイは?
・担当、どんだけ君の名は推すんや。
・新しいフレンズの登場
・ウェルカムトゥーようこそ流氷パーク、ドッタンバッタン大騒ぎの予感!?
の、三本です。おたのしみに!

213話「リパえもん、すぎもととズルムケおでこ団」

〜ちゃっちゃらちゃっちゃ♪(スネ夫のアレ)
あんな貧乏なスネ夫は、スネ夫が貧乏な生活をしてみたいとドラえもんに頼んだ回でしか見たことない。
だいたい白石、それおまえの馬じゃない。

谷垣の走り方が、マラソン大会でビリケツだけどみんなに拍手でゴールテープ切る人みたいだなと思った。死ぬほどどうでもいいな、そこは。
マタギを名乗ったげんじろう。二枚目エフェクトかけられてらァ。
だが「は?何言ってんだおまえ」て、菊田に連れ戻されそうだがそこは頑張れげんじろう!フミエ先生も認めた男(少女)げんじろう。立派なマタギになれよ!
そして谷垣、天から与えられた役目を果たすんだ。おまえの与えられた役目は、フチにアシリパの無事を伝えることだ。
こうして、一緒に旅をしてきた仲間?たちが、ひとり、またひとりとそれぞれの役目を終えたり、役目のために別な道を歩みはじめてる。
今、ゴールデンカムイはそれぞれの役目を再確認し、そこに向かって進み始めている。白石の役目はなんだ?わからん。とりあえずパーティーに入れとくかっていう、ドラクエで言うところの遊び人ポジションかな。知らんけど。

そしてとうとう誰もヴァシリの名前を呼んでくれなくなった。
月島以外は言葉が通じないのだからしょうがない。
頭巾ちゃん、から、赤ずきんよりも鞍馬天狗を思い出した。だって馬に乗ってるし。なんだあのベストタイミングで馬から手を差し伸べる王子っぷり。頭巾王子。ズキンちゃん。
「バーン」は、狙撃という意味の日本語だと思っていないだろうか。擬音は国によってだいぶ違うというのは、鶏の鳴き声が各国で様々あるという話で知ってるが、「バーン」はドイツ語だかで道だったかそんな意味だったように記憶している(曖昧)(アイスバーンのバーンね)
ヴァシリにとって狙撃イコールワンショットワンキルだからね。足を狙うとかそんな尾形みたいなことはしないんだろうな。だから負けたんだよ、おまえ(知らんけど)

ヴァシリもまた、自分の目指すべき道(尾形とのリベンジ)のために、一番いい選択をしたのだろう。
もうみんな自分の欲求にまっすぐ進むだけだ。帰り道は保証されていない。マッドマックスのように、行って帰ってくることはできないかもしれない。だからアシリパは、もう自分の姿をフチに見せることは叶わない可能性を考え、夢の話を谷垣に託した。アシリパは、故郷の村に二度と帰ることができかもしれないと腹を括ったのだ。
となると、彼女は方法は違えどウイルクの意志を継ごうとしている。
不殺の信条を心に、アイヌ民族の未来を守ることができるのか。

そもそも船の存在はなんなんだ?白石は「迎えの船」と言っていたが、誰の差し金なんだ?はなからこっそり逃げ出す算段はつけていたのだろうか。
それとも、白石はもう自分がお役御免だと船長に話をつけていたのか。
割と立派な船だが、船と言えば鯉登パパだ。船に詳しくはないが、海軍は乗船の権利も持っているのだろうか。鯉登パパが絡んでいるとは考えにくいが、杉元たちを追ってきたあのボロ船。操舵しているのは鶴見と考えていいのだろうが、え、船運転できるの?
まあスパイやってたくらいだから、なんでもできそうだけども。
とはいえ、乗船とあのボロ船。足が速いのは確実にボロ船の方だろう。
杉元さんチームの戦力は、近接戦バーサーカーの杉元と、狙撃手ヴァシリ。鶴見単独で乗り込んできたとしたら明らかに分が悪い。何か策はあるのか。無事、北海道の地を踏むことができるのだろうか…。

212話「送り狼」

表紙が、飲み会のあとに酔いつぶれた女の子に向ける顔とセリフや!と思ってしまいましたこんばんは。
私は酔いつぶれるとタクシーにぶち込まれて終わりです。帰巣本能がしっかりしてるのか、どんなに酩酊状態であろうとも、絶対に家に帰るよねと褒められたこともあります。

そんな私の泥酔エピソードはどうでもいい。
なんなんだよあのチートスキルは。
サウナの回でもバーサクしてたけど、髪の毛が立つなんて前兆あった?マフラーは逆立ってたけど。
家永は会頭手術の時に何をしたんだ。毛根に繋がる何かまでいじったのか?
余談だが、バーサク杉元のように理性が効かなくなる症状(と言っていいのか)おそらく、鶴見と同じで前頭葉と呼ばれる理性を制御する部分が欠損したことにより、アシリパトリガーで脆くなった前頭葉の機能が杉元の感情をむき出しにしてしまうのではないか。
本来、杉元は日露戦争で見せた鬼神のごとき活躍をする獰猛な男だった。
親友の死や梅ちゃんとの思い出を機に、戦争に行く前の自分に戻りたい。という思い、アシリパに故郷を見せたいという希望が彼の獰猛な部分を理性で落ち着かせていた。本人もそう願っていた。
杉元が不死身の杉元を口にする時は、局地を乗り越えなければならない時であり、人を殺すために鼓舞するものではなかった。

だが今回、アシリパトリガーが発動してしまった。いち早く異変に気づいた月島。真っ先に杉元を捕らえようと独断で近づいた鯉登。
「昨日までは聞いてくれていたのに」
そう、昨日までの鯉登は知らなかったから。疑心などまったくなく、これまで仕えてきた従順な鯉登ではないのだ。
それとも鯉登は我先にと死に急ぎたかったのか。無意識の中で、身を投げ出したいという衝動に駆られてしまったのか、
生きるも地獄、これまでの人生も地獄の上の駒であった鯉登は、今や自ら欲した首輪に不信感を抱きつつあるのではないか。

そして最後に見せた鶴見と月島のアイコンタクト。
「喋ったのか」
「ええ」
と勝手な吹き出しを追加したくなる。
すべて思い通りに演じていた演者がアドリブで動いた。この、観客には滞りなく進んでいるように見える舞台でも、脚本家には大きな指針変更となるやもしれない独断行動。

杉元は、もう誰にも止めることのできない獣へなることを選んだ。
故郷に戻り、干し柿を食べることができなくても、アイヌの少女とともに、彼もまたアイヌ活劇を一番近くで、はたまた舞台袖から見たい一人なのかもしれない。

たしか公式で月島のことを「第七師団の良心」の二つ名で紹介していたものがあった、気がする…(公式だったか二次創作だったか曖昧になってる)
良心などてはない。
いや、ある側面から見れば良心ともとれるかもしれない。月のような良心なのだ。ある場所から見れば不敵に微笑む三日月のように見えるが、別な場所からは満月に見える。
同じ月でも、見る者によって存在が恐怖にもなり良心的にもなる。
良心的な部分は、鯉登に顛末を話しながらも、彼の身を案じている部分。だがそれも、鶴見劇場の大事なキャストだからだろうか。
月島は演出家として、鶴見のシナリオに支障が出ぬよう、最高の物語をこの目にするために、それがこの何もかも失った人生で唯一の娯楽であるかのように。
これほどの狂気、そうそう間近で見られるものじゃないからね。
狂気と美しさは似ている。
恐ろしく研ぎ澄まされ完成された狂気は、奇跡や芸術のようだ。誰にでもできるものではない、凡人がどんなに手を伸ばしても得られないもの。常に先を歩く美しい狂気に寄り添う影のような存在。その月島もまた、狂気に目を見開き後ろに立つことができる、恐ろしい人間なのかと。

だんだんた、それぞれの皮膚の内側が見えてきた気がする。その下に流れる血を、隆起する肉が、どんな顔で潜んでいたのかが。
本性をむき出しにしなければならないほど、薄ら笑いでごまかせる人間達ではないのが、ゴールデンカムイだ。

ところで宇佐美、やっぱべらぼうに強いんだよな。体術戦が得意なのかな。バックドロップされてる時の顔がおもしろかった。

211話「正論ビンタ」

冒頭で言うのもアレだが、白石、もうおまえそれ、血じゃね?飲みすぎて胃が荒れてんじゃないの?屁こいてる場合じゃない。

白石が杉元にド正論ビンタをかましてくれて朝からすっきりしましたおはようございます。

「金を渡す未亡人はどうした!」
今年一番の「それな!」が出た。それな!オブザイヤー白石。
そうなんです。
以前このブログでも書いたように、なーんか杉元ってアシリパモンペになってね?っていう私の心配を白石がバチン(物理)と言ってくれた。
酩酊して事後の人間の発言とは思えないくらい的を得てる。ゲロ吐きながらとは思えないくらい、まっとうなことを言ってる。
いやまあ結局、自分の金の分け前を案じての発言だったけど。言ってることはめちゃくちゃ正しいよな。
この時までの杉元、アシリパさんを引き渡すかどうかの権利が自分にあると思ってる。だからこんな日よった顔してしょぼくれてるんです。
過保護になっちまってるんです。
アシリパさん、鶴見のところに行って大丈夫かな、って。
鶴見の元に下るかどうか、金塊の暗号の鍵を話すかどうかの決断は、アシリパ本人にあるのに。
杉元は初めてアシリパに会った時に、交わした契約のことを忘れていただろう。
アシリパさんは知恵を貸してくれ。
彼らは互いに得手不得手を補うことで、同じ目的に向かう同志だということを。
それがどうだろうか。
元々の目的を見失いつつある杉元は、アシリパが背負ったアイヌの運命の重さに心配するばかりだ。
だがアシリパは違う。
樺太で見てきたものは、彼女の決意を大きく変えた。だからこそのあの活動写真に躍起となるアシリパ監督が生まれた。(結局あれどうなったんだろ)
アシリパは杉元の知らぬところで、アイヌの未来を牽引することを選んでいたのだ。案ずることも、引き留められることも必要ない。
アシリパが決断したことを信じ、共に駆ける同一線上の立場にある、それがアシリパと杉元なのだ。

アシリパが空に放った矢を、瞬時に毒矢だとうそぶいた杉元。
アシリパは杉元を相棒だと信じていた。白石に正論をかまされなければ、「何やってんだアシリパさん!」とでも批難しただろう。
抵抗せず、大人しく鶴見軍門に下るのが、アシリパにとっても最良だとばかりに。
だがそれではアイヌの未来は切り開かれただろうか。
杉元は白石に「土方のようにアイヌを背負わせて戦わせるような…」と言った。杉元はこの時点では、アシリパアイヌの未来のために戦うことを拒んでいると考えていた。いや、アシリパがそう思っていたかどうかではなく、杉元自身がそれを拒んでいたのだろう。
のっぺらぼうに言ったように、「山で熊狩ってヒンナしててほしい」
杉元はアシリパに庇護欲を抱いていたのかもしれない。父親によって、ウイルクという人間が父親であったがために、民族の継続のために戦いに巻き込まれる、かわいそうなジャンヌダルクだと。親のエゴにより、無垢なアイヌ少女であり続けることができない、悲惨な運命を背負わされたと。

だが、かわいそうかどうかを決めるのはアシリパ自身だ。
他人が、人の人生や行く末を主観で判断することの残酷さ。
ウイルクはたしかに親のエゴをアシリパに託したかもしれない。だが、アシリパもまた、アイヌ民族なのだ。
他所から移り住み、巻き込まれてしまったわけではない。彼女にも、ウイルク同様にアイヌの血が流れている。
それを再確認したのが、樺太での出来事であり、キロランケが命をかけてアシリパに見せた景色なのだ。
アシリパも、ウイルクと同じく、アイヌの未来を案じる民族のひとりなのだ。
だから、指針を決めるのはアシリパ自身であり、他人がどうこう言うのはお門違いでもあるのだ。

そうしてアシリパはひと目鶴見を見ただけで決めたのだ。信用に足らぬと。
まああんな虚無みたいな目を向けられたらそりゃあ逃げたくもなるわな。
おそらく谷垣から聞いた、鶴見は日露戦争で親兄弟夫らを亡くした人達へ仕事を与え〜なんて話は師団の兵士たちを動かすための方弁だと気づいたのだろう。
まったくの嘘ではないが、その先にアシリパが相容れぬ計画が潜んでいると、肌で感じるには充分な対面だった。
誰も殺さず、第七師団の面々を巻いたアシリパの判断力。そこに鶴見はかつてのウイルクを見たのだろうか。