どぶろく

ゴールデンカムイの感想や個人的に気になったことをまとめています。

188話「尾形、死よりも重い罪」

 

毎週頑なに続けてきたタイトルも変更せざるを得なくなった。

誰かが、利き腕か利き目を損傷するのではないかと言っていた。

私はそれを読んで、それは死よりも重い罰なのではと思った。

 

生きててよかった。

そう思えるのは人生を幸福と定義している人たちかもしれないと、私は思う。

生きて、これまでの罪を背負う事のほうが、地獄へ落ちるよりも修羅の道だと私は考えている。

 

私は自分の人生に照らし合わせ、「死」こそ救いだと考えているような人間だ。

別に尾形のように、法を犯すことはしていない。

だが、生きながらえさせることは未来を考えさせられる。

その未来に、幸福を想像できない人生を歩む者にとって、生きていることこそ地獄なのだ。

 

尾形に話を戻すが、右目を失った。

彼の利き目が右目なのかどうかはわからない。利き目を失ったとしても、銃の腕に支障がでるのかはわからないが、これから心も身体も欠けた状態で、杉元の制裁を待つことになるのだ。

仮に銃が撃てなくなったとしたら、彼は無防備のまま、粛清を受ける。それだけのことはした。当然の報いだと思う。

だが杉元は「この流れでは死なせねぇ」と言った。そして尾形の射抜かれた目に入った毒を吸い出した。

これは決して尾形を助けたわけではない。

アシリパさんを、人殺しにさせないため。「おまえなんかの命で」と。

不殺の信条を持つ少女、アイヌの希望になるべくアシリパさんには、尾形の命は軽すぎたのだ。

 

目を射抜かれ、倒れる寸前で尾形は笑っていた。

尾形には、もう銃を撃てなくなるかもしれないことや、自分の命よりも、不殺の信念を抱く者に「人殺し」をさせたかった。

それがようやく叶った、という顔だったのだろうか。

そして罪の重荷を課せることで、罪悪感を試したかったのだろう。ひとり殺せば二人目、三人目と躊躇いはなくなるだろう。

そして薄れゆく罪悪感に、自分の「人を殺して罪悪感を抱く者なんていない」という共通認識を認めたかった。

マイノリティからマジョリティに昇格したかったのかもしれない。

それがきっと、尾形の考える「救われる道」だったのかもしれない。

 

けれどその願いは破られた。

暗闇の中、己の罪を悔い改める時間を与えられ、死を待つのだ。

 

これほど残酷な「生」はないだろう。

思えば尾形は、あの時殺される覚悟があったのかもしれない。そうすることで、願いは成就されるのだから。

死を願う人間にとって、死ねないことは呪いなのだ。

そう、尾形に与えられた罰は死よりも重い。

 

尾形にこの先救いはあるのか。

何をもっても叶えられなかった、不殺の信念を汚すことを絶たれた今、それを覆す希望は現れるのだろうか。

 

完全に尾形を悪役として見ていたなら、杉元とアシリパさんの再会シーンも楽しめたのかもしれない。

白石シャンパンも心から笑えていただろう。

だが、想像できない尾形の希望ある未来を思うと、何も頭に入ってはこなかった。

 

独眼のスナイパーとして、新たな道に進路変更できるほど、尾形の心にはすでに常人の感情は残っていないように思える。

推しが死ぬのは当然悲しい。

だが尾形に関しては、死をもって救われて欲しかった。

 

先週の不遇な出自と人生に抗う姿に、生きる希望を私は与えられた。

それでもし今週殺されたとしても、おつかれ、と言って見送ってやる覚悟があった。あなたが抗った運命というしがらみに、私も抗う活力を見いだせたんだと。

 

それでも生かされたのなら、これからもみっともなく足掻いてほしい。ここからまっとうな人生なんてないだろうけど、それすらも楽しんでくれることを願う。

どうか救われる道が、ありますように。