どぶろく

ゴールデンカムイの感想を毎週木曜日に更新しています。

今後の尾形を考える

先週の本誌ショックから10日ほど経って、読んだ直後の動揺した感情から、少しは落ち着いて尾形の今後を想像できるようになった。…と思う。

 

狙撃手として大事な右目を失う。そして流氷から落ちた銃。

これまで金カムは、何気ない1コマにその後に繋がる意味を持っていた。

私が記憶している中では、オロッコ民族の天葬。ロシア正教の八端十字架がクローズアップされているコマが気になって調べていたことがある。

あれは、その後の展開で、ロシア正教の拡大。つまりはロシア正教アイヌ民族のすぐ近くまで脅かしてきているという示唆だったのではと、解釈している。

 

そう考えると、あの銃が海に落ちた1コマにも、何か意味があるのではと考える。

そもそも尾形が銃を使うようになったきっかけは、母親にとり憑いた父親の影を引き剥がそうとしてのことだ。

鳥を撃って持ち帰れば、母親はあんこう鍋の呪いから解放される。つまり、もう帰ってくる希望のない呪縛から解かれる。そして、自分に目を向けてくれるのではないかと。

尾形は、鳥を撃てば母親が自分を見てくれる。

勇作さんを撃てば父親が自分を思い出す。

その銃で命を奪うことで得られるものがあると考えていたのかもしれない。

 

もう何も撃てなくなってしまった尾形。

しかし銃を向けた先で得られたものがあっただろうか。

もしかしたら、杉元を撃ったのも、ウイルクが杉元に金塊のことを伝えたかもしれないから、ではなく、父親だけではなく杉元をも殺せば、アシリパには自分を殺す理由が生まれるからと考えたのではないか。

 

尾形はそうして、命を得意の銃で奪うことで、愛情は怒りという感情を得ようとした。

あの1コマは、もうおまえの銃では何も得られない。得られなかったじゃないか。もう諦めろ。という意味に思える。

 

しかし尾形には、それ以外に他人の感情を自分に向かせる手段を知らない。

だからこれからそれを知ることができるかもしれない。尾形が人らしく成長するのではないか。

とは、私は思えない。

絶望的なことを言うが、あの年齢になるまでまともな感情を持ち合わせていない人間が、一般的に正攻法とされているものを得ることは、かなり不可能に近いと思う。

それくらい、幼い頃から根付いてしまったものは、呪いのように身体に染み付きあらゆる場面で痛み出すのだ。その痛みで思い出すのだ。撃てない自分は、誰の感情も得られないと。

 

完全に経験則から言ってるだけだし、まあ漫画なのでそのへんは実際の人間の心理が当てはまるかもわからないが、たとえ尾形の出自を聞いて同情されたとしても、尾形の心には何も響かないだろう。

同情なんで犬のエサにもならないし。

同情されたとこらで、これまでの人生が覆るわけでもない。

未来を生きようとするために必要なのは、自分の判断と行動しかない。

他人はいくらでもアドバイスはできるが、実行するのは結局は自分なのだ。

 

散々書き続けてきた尾形が何をしたかったのかの理由が、だいたい明らかになってしまったが、キロランケとの接触の段階もまだわからない。

 

188話のタイトル「生きる」には、生きることの残酷さを表しているのか。生きることの意味を示唆するような展開があるのか。

生きる意味がわからない私にとっては、とても気になる流れになりそうだ。