189話「金カム大空襲」
前回に続いてみんな怪我しすぎじゃないか?
いや、これ、正直に書いていいだろうか。
サトル!どうしたいんや!!!
この2回でレギュラー陣どんどんリタイアさせて、この漫画の矛先はどこへ向かっているんだと、正直思ったわけだ。
尾形の右目は話の流れからまあそうなるわな、ということにもできる。というかそうでも思わないとやってられないのだけど。
しかしここにきて、谷垣まで危ういし、なにより軍曹、首いっちゃってるじゃん。
「天から役目なしに下ろされたものはいない」がこの漫画のテーマのように扱われているが(単行本のカバー外したところに毎回書いてあるし)軍曹、庇うの二回目。彼の役目は上官を身を呈して守ることにあると言いたいのだろうか。
この「役目」は決して、己のために何かを全うするというものではないのかと、前回から感じていた。
それでは、この漫画の主な題材でもある、民族を守るための戦いにおいて、信念を持つ者と持たぬ者とで、役割に大きく差が出るということなのだろうか。
アイヌの文化では、物に宿る魂が役目を終えて天に帰れるよう、傷をつける。
果たしてこのキャラクター達は、自らが役目を全うしたと感じ、天に帰ることができるのだろうか。
誰かの犠牲になることが役割だとい言うのなら、人生はあまりに酷い。人のために命を使うことを、美談だと考えるのは、私が現代の平和な世界に生きているからだろうか。
少し話は逸れるが、第二次世界大戦で亡くなった兵士たちは、英霊として靖国神社に祀られている。彼らの命は国のために。そこに彼らの意思があろうがなかろうが、彼らは「お国のために死んだ」とされている。そういう神社だからね。まあそういう解釈として今はここで扱うけども。
でも果たしてそれが正解だったのか。
正しかった戦争だったと後世に伝えたいがための理由なのではなかろうかと、戦争のない時代に生まれた私は思う。
結局のところ、正しさの判断は後付けでしかない。
もうこれ感想でもなんでもなくなってきたけど、なんか、こういう退場の仕方(まだしてないが)に私は怒りすら覚えてしまうのだ。
あれだけガンダムやらで、戦争で死んでいくキャラを何人も見てきてもそう思ってしまうのは、キャラに愛着が湧きすぎているからだろうか。
民族だ幕府だ軍だとか。そういう誰かが正しいと思って止まないもののために、これだけ傷つかなければならないのかと。
まあ、言っちゃえば彼ら軍人だし。テロリストだし。そういうもののために命を張ってると言われればそれまでなのだが。
なんか愚痴っぽい感想になってしまったのは、あまりにも怪我人続出のため、方向性がわからなくなってしまったからなのかもしれない。
でもこれでキロちゃん死んじゃったら、いろいろ葬られてしまう事実があるからここではまだ死なないのかな。
ていうか、鯉登、興奮してるのに標準語だったね。
やる時はやるってかんじでかっこよかった。心の中で「貴公子ぃぃぃぃ!!!!」って叫んでたね。よっ!薩摩のオジマンディアス!次は爆破に備えて、ピラミッドの代わりにあの灯台でも投げろよ!
もうこういうくだらない感想しか出てこないな。
前回から思ってたけど、キャラにここまでハマらないで、普通に「漫画」として楽しめてたらよかったなあと思わないでもない。
そしたらこの展開も、バトルシーンのかっこよさに興奮できてたのかもしれないな。ひとつ楽しみ方を得てしまったら、本来の楽しみ方を失ってしまったのかもしれないね。悲しいことだが、これも腐女子のサガなのか。ならば脈がなくても最後まで読み切るしかない。
ここまで何度も推しの死を乗り越えて、骨になっても生き返り、また推しをつくるという業を背負ってしまったのだ。
どうでもいいけど、白石またおしっこ?それ膀胱炎じゃね?って思ったら、時間軸が前回よりもちょっと前なんだな。
あとたぶんあの寒さなら止血も早いからきっとみんな助かる、はず。
にしても、スヴェちゃんはあの状況下でも何していいのかわからずオロオロしてそうだよな。そりゃそうか。無理やり連行されたらいきなり戦闘に巻き込まれてるんだもんな。どこまでも不運だ。家出、窃盗、逮捕、脱獄の次はなんだろ。思いつく限りの悪事をやらかしてんな、この娘は・・・。