191話延長戦「悲しみにつばを吐け」
昨日のブログのあとに気づいた事があったので、新たに補足。
よく考えたら尾形がキロちゃんに話を持ちかけて同行するまでの経緯がはっきりしてないんだよね。
パルチザンだってことは鶴見中尉から聞かされていたとして、それを脅しの手段として使ったのか。その話をするために、二人きりで接触する機会が必然だったわけで。
それがリパさんに不殺の心情を確かめるためだとしたら。…って考えても、それだけじゃキロちゃんに同行する理由としては薄い気がする。
なにより、最初に宿舎から脱走した時点で、リパさんに不殺の信条があったかどうかなど確かめようがない。
だとすれば、造反組を装い、二階堂を率いて脱走。そしてそれを密告すると恐れた谷垣を必要以上に警戒している点からして、鶴見中尉に自分の行動がバレることが、尾形にとって絶対避けねばならない。
つまり、予想だが、やはり尾形は誰かの差し金で動いたことになる。
ここでそれを匂わせたのが、菊田特務曹長だ。
「私の様子を見にきたのか」
これは怪我の具合を心配しての、二階堂と宇佐美を寄越したわけではないと示唆している発言に思える。
言わば、菊田曹長が鶴見中尉の目の届かないところで動いているかもしれないという不穏への警戒。自分が警戒されるに値する行動をとっていると自覚しているのではないかと。
その計画(があればの話だが)に一役かっていたのが尾形だったという筋も可能性として無くはないと思う。
いやまだ菊田曹長が反鶴見派と決まったわけではない。
「様子を見にくる」ということは、もしかすると鶴見中尉の計画の一旦を担っていて、その進捗状況を伺いに来たという線も考えられる。
そして尾形はまだ重要な秘密を握っている。
鶴見中尉が花沢中将の自刃を細工したことだ。
中尉は以前、月島と鯉登の前でしれっと花沢中将の自刃の話をした事があった。
第7師団であれが自刃ではないと知っているのは、鶴見中尉と尾形だけである。
自刃という汚名を着せられ結束を強くした結果が、実は仕組まれていたことだた知った月島たちはどう思うのだろうか。
しかし尾形がその事を話したとして、今は信用してもらえないだろう。
尾形への信用が回復することは薄いと思うので、鶴見中尉への不信感が芽生えたあたりでバラすのだろうか。
この役割がまだ残っているので、退場することはないと思いたい。
で、昨日1ページ目を読み返してたら、白石の弔い方がなんとも粋だということに気づく。
かつてあった青春のほんの束の間の時間。アムール川で見た夕陽の美しさ(朝日かもしれんけど)そこに春が来たら帰るこができるように。
家族が待つ北海道へ戻ることができなくても、せめて思い入れのあるアムール川を渡り、役目を終えて天に帰る。
キロちゃんに教わったことは意図せずアイヌ民族の風習に習う形になったこと。これこそが文化の継承ではないかと思う。
たとえそれが多民族の人間であったとしても。誰が文化を大切にし、それを守るかなんて大事ではないのかもしれない。
大切なのは、その民族の文化が存在したという事実を、後の人間が忘れずにいることかもしれない。
人生には必ず「さよなら」が訪れる。
自分が別れを告げる時、告げられる時。人生は生まれた瞬間に「さよなら」の連続が待ち受けている。避けて通れはしない別れ。その悲しみにつばを吐き、抗えない別れを悔しさに変えることで、忘れずにいられることができるのかもしれない。