どぶろく

ゴールデンカムイの感想を毎週木曜日に更新しています。

210話「救われなかったあなた達へ」

鯉登の「奥義、膝折地べた反転」とアヘ顔が、もう岡田あーみんの世界観だったのは、私がここであえて書くまでもなく皆さんお気づきだったと思いますおはようございます。いつものゴールデンカムイ感想ブログです。

今週も一話で情報過多な上に、漢字が多くて脆弱な脳みその私は思考回路がショート寸前です。
満鉄…まんてつ。なんか響きがエロい。などと、今回なんの下ネタ要素もないのにそこからスタートです。なんせ思考回路がショート寸前なので。すいやせん。

掻い摘んでいうと、満州の土の下に眠ったままというのは、遺体を回収すらしてくれない大日本帝国、すなわちこの漫画で言うところの中央が、第七師団を蔑ろにしていたかということ。遺体を異国の戦地に置いてきた。この事実だけで、鶴見の心情がいかなるものかを、私たちは今の段階で想像するしかできない。それ以上でもそれ以下でもなく、戦争で戦い命を落とした同胞の骨を、故郷に持ち帰ることすらしない。これが当時の彼らにとって何を指すのか。現代の我々には少し共感し難いかもしれない。
だが、鶴見がめんどうな人たらし劇を仕込んでまで、手駒になりうる人間を懐柔し、人の生死さえも操り、満州を日本国にしようとした。
これだけでも、鶴見がどれだけ中央のしたことに怒りを抱いているかがわかる。
月島にいたっては、九年の時を経て鶴見タイマーが作動するよう仕組まれていた。これは、長い年月を見越し、何年何十年かかろうと成し遂げてやろうとする鶴見の執着心であり、復讐劇場なのだ。

尾形や月島、鯉登。親子二世代にも渡り仕込んだ、壮大で膨大な鶴見劇場。台本が広辞苑くらいあるのではないか。鶴見のあの欠けた頭の中には、それでも綿密で長いシナリオが収まっている。それも、これから先、何年何十年先まで描かれたシナリオが。

そして忘れてはいけないのが土方だ。
土方の中にも、三十何年、史実で亡くなったとされている三十五歳からずっと頭の中に、蝦夷共和国のシナリオが描かれたままなのだ。

鶴見、土方の独善的とも思えるシナリオ。だがそれを、現代に生きる私たちは否定や批難することができるだろうか。
当時に比べれば平和な、戦争とはほぼ無遠な時代に生きる私たちは、彼らの心情や根深い理想を、現代の倫理観と照らし合わせてどうこういうには、私たちには経験が足りない。
私たちが想像できない無念の先に、アイヌの金塊があるのだ。
言わば、鶴見にも土方にも足りないのは、あとは大金だけなのだ。
彼らは、欠けたピースを探している。自分の理想を完成させるための、頭の中に描いた絵図に足りない、あとひとつを。

そしてアシリパは不安に思う。
鶴見が金塊を手にした時、果たしてそれはアイヌにどう影響するのか。
その決断を、たった十代前半とおぼしき少女に委ねられている。なんて残酷なのか。杉元はそれに、力になってやれるのか。
杉元の、梅ちゃんの目を治したい。親友で戦友の寅次の遺言を叶えたい。それも立派な理由だが、鶴見や土方と比べると桁が違いすぎる。
そもそも人の追い求めるものを比べることが間違いなのだが、あまりにも規模が違いすぎる。

鯉登の狂信っぷりは、演技なのか。
月島さえも信用ならぬと、わざと狂信的だった自分を再度演じて見せていると思いたい。あのアヘ顔、けもフレのような語彙力のない感想。
彼は鶴見をとるのか。それとも父親や亡くなった兄のように軍人としての誇りをとるのか。そのためには、阿呆にもなるさ。そっちが劇場ならこっちは道化だ。雑技団だ。ルナティック雑技団だ!
…絶対サトル、岡田あーみん好きだよな…。


【追記⠀】
人のやわらかいところ、弱い部分をピンポイントで探し当て、揺さぶり、そのためなら周りの人間をも利用しまるで演劇のようにストーリー仕立てでターゲットを手中に収める。最強の人たらしというより、まるで高度なボードゲームを見ているようだ。ボードゲーム人狼と人生ゲームしか知らんけど。
その鶴見の絵図から、唯一キャストオフした人間。要人である父親をこの手で殺める。尾形にとっては最高のシナリオだろう。それだけの恩を売られようが、尾形は鶴見を裏切っ…たのか?
鯉登に満鉄の話を仄めかすところまで、鶴見劇場のシナリオの一部なのか?鶴見劇場っていうか、もう盛大なドッキリじゃね?いや、鯉登の反応がドッキリ仕掛けられて「うそー!全然気づかなかった〜!え?じゃああそこからもう始まってたの?やばいwww」みたいなコメントするグラドルみたいでつい…。

しかし、鶴見タイマーは恐ろしい。
九年後に月島自ら真相を知るよう仕組まれている。そして、そこまで入念で手間のかかるシナリオを描かれた、イコール自分を引き入れるために労力を使ってくれたと解釈させる。
人は、そこまで人を操れるのか。
もし月島が真相に気づかなかったら?もし尾形が鶴見を欺き父親を殺さなかったら?
きっと鶴見はその後のアドリブまで考えていただろう。
いくつものルート変更を用意していたはずだ。ギャルゲーか!どれを選んでも鶴見ハッピーエンドのときメモか!どう進んでもしおりが告白してくるバグか!

「でも、あなたは救われたからいいじゃないですか」
あなたは、救われた。じゃあ月島は?救われていない。好いた女を失い、父親を殺し、鶴見の描いたシナリオのキャストになるしかなかった。月島にとっては、今の人生は救いではない。今もこれからも、救いのない人生を観覧料とし、鶴見劇場をエンディングまで間近で観る。それは観覧料として、安いのか高いのか。鶴見劇場は、人生をかけてまで観るに値する代物だと、月島は思うほかないのだろうか。
エンディングのクレジットにちょっと他のキャストより大きめに名前を載せてくれなきゃ割に合わない。
演者から、スタッフへ。舞台袖で観る鶴見劇場は、観客席から観るそれよりも、遥かに価値のあるストーリーなのだろう。
いったい鶴見の頭の中には、どんなラストが描かれているのか。
そして、尾形も未だ舞台から降りてはいないのだろうか。
私は彼が舞台を引っ掻き回す、迷惑な観客であってほしいと願う。彼は彼の意思で、父親を殺した。そうでなければあまりにも報われない。意思のない行動は、誰かの脚本の一部だ。それはたった一度の人生において、あまりにも不幸で、あまりにも残酷で、魂を取られているのと同じではないか。
早い段階で鶴見を「人たらし」だと見抜いていた尾形。誰もが鶴見劇場のシナリオ通りに動く中、尾形だけが自ら舞台から降りてシナリオを弄ろうとしているのなら。
尾形もまた、人ではないのかもしれない。人ならざる心を持つ尾形だけは、鶴見の人心掌握術の射程外だったとしたら、尾形という人間も恐ろしく美しいバケモノだ。
私は、人が人である限り、多かれ少なかれ、良くも悪くも他人の干渉を受ける生き物だと思っている。尾形にもし人の心が欠けていたとしたら、彼は誰よりも自分らしく生きることができるのではないか。
不幸な生まれ、人生ガチャが☆1の最低レアリティだったとしても、彼は自分の生きたいように生きることができるかもしれない。
人として生まれ、人ならざる者として育った尾形から見える景色は、人が決して見ることのできない景色ではないかと私は思う。

救われなかった人生に、幸あれ。