どぶろく

ゴールデンカムイの感想や個人的に気になったことをまとめています。

ゴールデンカムイ221話「理想」

今回の一連の平太師匠は、単なるホラーではなく脳科学から見るととてもおもしろい。
いや、脳科学全然くわしくはないんだけど。ちょっとあちこちから断片的に拝借した知識を持って推測する。私的、道東のヒグマ男。

松田平太、彼の独白とこれまでの行動でしか語られなかったので、真相はどうであるかの確証は、作中にはない。
平太師匠はあの通りイカれているので、彼の言っていたことがどこまでほんとうで、どこまでが妄言なのかの判断がつきにくい。

だが、砂金に目が眩んだ家族を殺したこと。殺しの衝動が抑えきれずに殺人を繰り返したことだけは事実である。
そして、彼が殺人を犯す際、羆の毛皮を被っていたこと。
ではそれ以外に平太が語っていたことはただの妄言なのか。
妄言なのだ。

平太は12歳の時に、恐ろしい羆の話を耳にした。
いつかは自分も羆に食われる恐怖に怯えるあまり、彼は羆に食われる自分を想像した。それも何度も。
何度も羆に食われる自分が脳内に描かれ、次第にそれは空想を越えて「記憶」になったのだ。

人間の記憶というのは実に曖昧らしい。
たとえば映画を一本見た時、すべてのシーンが記憶に残っているだろうか。
映画一本まるまる暗記できる人間はいないだろう。
より心に残ったシーンだけが、断片的に記憶される。そこに、同じ映画の考査を加えたらどうだろう。その考査が、唸るくらい素晴らしいものだったり、衝撃的な内容だったとしたら、自分の記憶にある映画のシーンの一部として加えられてしまうことも、なくはない。

千と千尋の神隠しが、初めて地上波で放送された日。
掲示板にこんな書き込みがあった。
「映画公開初日には別のエンディングが流れた」
その、別のエンディングの内容が、ありえないとは言いきれない内容だったことと、実際に絵コンテとして存在していたこと。(直前で監督がボツにしたらしいが)それらが重なり、実際には誰も見たことの無いまぼろしのエンディングが、あったような気持ちにさせられた人が少なくはなかったそうだ。
実際には、映画のフィルムを交換するなど莫大な金がかかるので、ほぼ不可能な話であるが、劇場で千と千尋の神隠しを見た人の中にも、地上波で初めて見た人の中にも、都市伝説として残された。
たしか、劇場公開から地上波放送までは1年以上の間があった。
「そういわれてみれば、そういうシーンがあったかもしれない」
断片的に蓄積された記憶に、衝撃的で鮮やかな新しい情報が、自分の過去の記憶として、まるではじめからそこにあったかのように存在してしまうのだ。

こういったことは、映画だけではなく、日常的にも起こっている。
だが、平太の妄想は度を越していた。
羆に食われるかもしれない空想が、空想の域を凌駕し、それに加え家族への恨み。
恐怖はストレスであり脳に不可を与える。
現実にいるかどうかもわからない羆が、もし、自分ではなく家族を殺してくれたなら…。
平太は次第にそんな妄想に囚われていったのかもしれない。それは平太の願いだ。毎日祈ったのかもしれない。どうか家族が羆に殺されますようにと。
そして平太の中にウェンカムイが生まれた。平太の願いは、自らの手で実現された。
平太がウェンカムイを頼ったのは、おそらく僅かながらに罪悪感があったからだろう。
殺したのは自分であるという自覚がありながら、どこかでウェンカムイにも罪を擦り付けていたのかもしれない。
自分では止めることのできない衝動性を、ウェンカムイの呪いのように仕立てあげた。そうすることで平太は罪悪感から心を守っていた。

相反する二つの衝動。理性と本能が平太の中できれいに分断されていのである。
これは多重人格の類ではないと私は思う。
多重人格ならば、別人格の時の記憶はないと言われている。だが平太の中には、しっかりと自分が殺した記憶は残っている。
平太は心を守るために、無意識下で記憶を改ざんし、自分の中のウェンカムイが行動を起こしていることにした。恐怖というストレスからの回避。
人間の脳は、一日でおよそ20%のエネルギーを使うとされている。
当然疲れるので、脳はたまに楽をしようと考えることを放棄するという。
平太の異常性は一種の、脳の回避行動ではないかとも思う。

そして殺した人間に成りすます。
これも罪悪感が起因しているように思える。
殺した人間を自分の中で生かすことで、罪から逃れようとしていたのか。そのへんまではわからないが、家族を殺し、孤独になった平太が自分のためにとった慰めにも見える。

ともあれ、大変気の毒な男である。
アシリパのいうように、伝承が正しく伝わっていないせいで、いらぬ恐怖に取り憑かれてしまった平太。
人は不安な情報にこそ興味を抱いてしまう。
週刊誌の見出しが、不安を煽るコピーなのはそのせいである。
いついつ大地震が起こる、年金がもらえなくなる、この食品が危ない。だの、そういったことの方が、鵜呑みにしがちなのだ。


ところで、表紙の煽り分、とんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」の替え歌だ。知っている人はどれくらいいるだろうか。
私は小学生の頃、吹奏楽部だったのだが、あの曲を演奏させられたことを思い出した。
なぜ吹奏楽でガラガラヘビなのか。
今思い出すと不思議である。