【ゴールデンカムイ感想回】鶴見と愛戦士とオキシトシンの関係【222話~234話 鶴見・宇佐美編】
鶴見が戦争で目の当たりにした「発砲する振りをする兵士たち」
あたりまえよね。
たとえいくら訓練を積んだって、訓練で人を殺すことはないもの。それがいかに敵国の兵士であっても、相手は人間。罪に問われなくても彼らの中で「人を殺した」という事実には変えられない。
しかし鶴見は気づいてしまった。
名前は出さなかった、いやこの当時まだ発見されてたのかどうかも怪しいから知るはずもない、オキシトシンというホルモンの存在を。
オキシトシンは、「愛と絆のホルモン」や「幸せホルモン」などと呼ばれるホルモンだ。
このオキシトシンが脳の視床下部から分泌されると、多幸感や他人への信頼感、親密な人間関係を結ぼうとする、不安や恐怖心が減少する。など、とにかくストレス社会で生きる私たちにも嬉しい効果がたくさんなのだ。
しかし、このオキシトシンにはダークサイド「負の側面」が存在する。
オキシトシンによって他者への信頼感が増す、絆が絆が強くなる。しかしこれは、自分が仲間だと認めた人間の間にだけ発動する。
家族間であれば家族の絆が深まる。
学校ではクラスメイト同士の団結力が増す。
つまり、ひとつの集団としての絆は強くなるが、それ以外の人間に対してはどうなのだろうか。
よく道徳の授業で用いられる「トロッコ実験」を知っているだろうか。
暴走するトロッコから五人を救い出さなければならない。しかしその際、一人の犠牲がどうしても出てしまう。
この実験をオキシトシンを嗅がせた被験者で行った場合、オキシトシンの匂いを嗅いだオランダ人男性は、嗅いでいない被験者に比べ、他国の被験者よりも自国の被験者を優先して助ける傾向があった。と、報告されている。
詳しく知りたい人はこれを読め。
「愛情ホルモン」オキシトシンのダークサイド|WIRED.jp
同じヤンジャンで連載中の漫画「キングダム」に、弓矢が抜群にうまい兄弟がいる。
兄の方は実践でも人を射つことができたが、弟は人間に対し弓を引くことができなかった。
弟の分も矢を放つ兄は、ついに敵に討たれてしまう。あと一撃で命が危ないというその時、弟が敵兵士に向けて矢を放ち、兄は一命を取り留めた。
兄弟愛が、弟を敵を殺める兵士へと駆り立てたのだ。
これが鶴見の言った「他国の兵士を殺せる兵士にするのに必要なのは愛」の真相なのだ。
愛情という絆で結ばれた集団は、その集団を守るためなら相手を殺すことにも罪悪感を抱かなくなる。
なぜなら殺した、殺さなければならなかった正当な理由が自分の中に生まれるからだ。
法律に触れる触れない以前に「自分がこいつを殺したことは正しい行為だった」と思える理由があれば、罪悪感は生まれないのだ。
補足だが、オキシトシンが分泌される方法のひとつに「感動する」がある。
感動を与えられた瞬間、愛情ホルモンがドッバドバ出てるわけだ。もう、そしたらそこで強い絆が生まれる。
輪の外に攻撃的になれる。それが愛情で生まれた団結力。
序盤で鶴見がヒトラーよろしく演説していた「我々の絆はもっと強くなる」
脅しでも罰でもなく、愛。愛は裏返せば攻撃的なのだ。
自国を守るため、ルールを守らない人間に対して過剰なまでの制裁を独自に下す。
最近目にしたり耳にしたりすることがあるだろう。
私はこれを「サンクション(制裁)麻薬」と呼んでいる。
集団を乱す者へ制裁を加えることでも、オキシトシンは分泌されるらしい。
これに気づいた鶴見は、宇佐美をはじめ鯉登、月島、尾形などを懐柔していく。
愛をもって、絶対的な忠誠心をもった兵士に仕立て上げた。尾形は失敗したが、まああいつはそういう、なんていうか、自由な子だから。
網走のあたりから宇佐美に抱いていた怖気は、やっぱり杞憂ではなかったか。
私はなぜか尾形よりも、宇佐美に対し異常な恐怖感をもっていたんだが、やはり胸が冷えるような凶暴性を孕んでいたとは。
しかもそれを表面化させず、ここまで「怖い」と思わせるキャラクターの動かし方。なんなんだ野田サトル。バケモノか。
なんだろう。
怒りを抑えながら自分を納得させようとしている仕草が「あ、こいつやべぇやつだ」「でもこういう人、いるな」っていう、やばい人だけど非現実的ではない。
どんなにトチ狂った個性的なキャラクターでも、現実にいそう。と思えてしまう人間味がある。そこがキャラクターの魅力であるんだろう。親近感が沸く・・・いや、親近感はちょっと言いすぎたわ。
まとめると、愛は罪悪感に勝つ!愛は勝つ!
あ、ここまで書き終わって思い出した。
宇佐美の凶悪性を内包した感じ、「こういう人いるわ」じゃなくてあれは「殺し屋イチ」だ。(でも書き直さない。もう眠いから)