【尾形深掘り回】山猫は家に帰る
GW期間中の無料公開分(234話)までの内容で尾形を語る。
前回の尾形深掘り回でも書いたが、尾形は半年もの間、土方チームを離れ単独で行動していたが、しっかり土方チームのアジトに帰還した。
そしてそのことを誰も不思議には思わないのだ。
その謎というか、尾形の動向について思うところがあった。
尾形は単独行動期間中、それが土方の差し金であろうがなかろうが、土方チームにとって有利な情報を持ち帰ってきた。
キロランケが死んだこと、ウイルクの同胞のこと。そしておそらくアシリパが金塊隠し場所の鍵に気づいたこと。
これら重要な情報を持ち帰り、土方に与える。
必要であろうものを手に入れ、帰ってくる。
この行動、見覚えがないだろうか。
幼い頃、夕餉の材料にと鳥を撃ち持ち帰ったシーンだ。
相手にとって何か利益になるものを手に入れ、それを持ち帰る。
しかし幼少期はそれを跳ね除けられた。何かを得て帰宅するも背を向けられた幼少期。
しかし今、尾形は情報を得て帰宅し、それを受け入れられている。
思えば最初に土方と交渉した際も、手土産の入れ墨人皮を携えていた。
尾形にとって、人に受け入れられるかどうかを試す作業は「何かを与える」ことなのではないだろうか。
これは交渉術としては最も定石である。
しかし単純な人間関係において、対価を与えることで受け入れてもらえた経験は、損得勘定抜きでは人は関係性を築くことができないと植え付けてしまわないだろうか。
相手の利益になるものを与えれば、自分はその人に受け入れてもらえる。自分の価値を物としての対価と混同してしまう恐れもあるだろう。
だが尾形のすごいところは、自分が母親に受け入れられなかった原因についてを、自分だと思わなかったところだ。
「自分が母親に認められる良い子でないばかりに、母親はずっと父親の存在に依存してしまっている」
などと、自分を責めることをしなかった。
母親が希薄な父親の影に依存している原因、それのみを解決する手段に打って出た。
そしてたとえ父親が母親の死に顔を拝みにきたところで、当然ながら母親はすでに亡くなっており、尾形を愛することも受け入れることも永遠にない。
それを鑑みると、尾形は母親の愛情などどうでもよかったのではないかと思える。
ただ、母親に父親を会わせたかった。
尾形自身に、利益はまったくない行動なのだ。
そして勇作の死の真相を父親に告げた時も、祝福された道が自分にもあったかどうかを試したかっただけで、その事実に父親は尾形を蔑んだ。そして父親の言葉に悲しむ様子もなく、にやりと笑ったのだ。
要は尾形は母親の愛情も、父親からの祝福にも興味がない。自分に向けられる感情、それに伴うメリットを欲しないのだ。
多くの人が、できることなら人に愛されたり認められたりしたいと願うだろう。
おそらく尾形にはそれがないのだ。
だから自分の価値を物に付随する対価と同等と捉え、物や情報を受け取ってもらえたことを、自分が相手に認められたと認識するのだ。
ここまで書いてて、やっぱり尾形はなかなかおもしろいキャラクターだなと改めて思う。
まだまだ掘り下げようがある、根深い男である。