どぶろく

ゴールデンカムイの感想や個人的に気になったことをまとめています。

【ゴールデンカムイ感想回】道理は正義の裏付け【22巻】

東日本縦断の旅を経て、一昨日ようやく我が家にたどり着いた新刊。

22巻に収録されている分は、毎週ヤンジャンアプリで読み、都度ブログに感想を書き殴っていた話数なので、敢えて感想を書く必要もないかなと思った。が、やはり改めて単行本で一気に読むとまた違った感想が生まれる。

そして後半の平太師匠の話は、結末を知って読むと「なるほど」と唸らせられる部分があった。

 

なので今回は、平太師匠の話を中心に感想を綴っていこうと思う。

 

まず、イマジナリーノリ子が杉元たちの前に登場した時点で、白石なら「彼女募集中です!」とお決まりのアピールをするはずなのだ。

家永の時もそうだし、インカラマッの時も、白石は美人に対面すると初手でアプローチをする。

だがノリ子はあれほど器量良しにも関わらず、白石はウインクをしただけであった。

それもそのウインクはノリ子へ向けたというより、平太師匠への相槌だったと、結末を知ってから読むとわかる。

しかし初見では、このウインクが美人のノリ子へのアプローチとして捉えてしまう。ここで私をはじめ読者は、ノリ子が実在している人物だと錯覚してしまったのだ。(勘のいい読者は気づいていたかもしれないが)

 

そして平太師匠以外の家族らしき人物の台詞に対し、杉元たちは誰ひとりとして答えていない。あくまで平太師匠とだけ会話をしている。

改めて読むとまったく矛盾点がないにも関わらず、私は完全に平太師匠以外の人物が実在していると途中まで錯覚してしまっていたのだ。

これは小説でいうところの叙述トリックに近いものではないだろうか。

 

更にヴァシリこと頭巾ちゃんが、平太扮するノリ子の裸体を前にし、猛烈に筆を走らせるシーン。

あれも「ヴァシリもやっぱり男なんだなあ(ニヤニヤ)」などと思っていた。いや、思わされていた。

美人の裸体を前にした男の心理としては、まあそうだろうな。という思い込みによって、また読み手はノリ子が実在している人物であることを刷り込まれたのだ。

しかし、ヴァシリがノリ子の裸体を描いている描写は一切ない。ないにも関わらず、大半の読者はヴァシリがおねーちゃんのヌードを一心不乱に描いている。と、誤認してしまうのだ。

 

だが改めて言うが、平太師匠以外の人物が実在している決定的な描写は一切ないのだ。

平太師匠の妄想を読者にあたかも存在しているかのように見せ、結末が明かされて読み返しても矛盾点がひとつもない。

どこに平太師匠以外の人物が実在してるという確証があった?ないよね?誰一人、平太師匠以外とは言葉を交わしていないよね?

はい、たしかにそうです。

 

とんでもねー描き方だなおい!!

なんだこの「そこにいるよ」と思い込ませる描き方は!!いや誌面には登場してるよ。おじいちゃんもノリ子も嵩にいも。描写はあるの。でも実際はいないの!

おじいちゃんが板どりの効率の悪さを説明しているコマに対し、さも白石がそれに「あんだよ やっぱ上手く行かねぇな〜」と返しているように見えるけど、これも川の水で手がかじかむまでやっても取れないことへの白石の独り言と言われればそうなんだよ。実際独り言だったんだよ。それをあたかも実在しない人物と会話が成立しているかのように見せる。

 

とんでもねー描き方だなおい!!!!

 

ついでに言うとヴァシリに裸体を描かせていたノリ子が、嵩にいに連れられて小屋を出て行ったかのように見せている場面。

すったもんだしたあと二人はキスをしているが、これを見ていた平太師匠もまた、舌をペロペロと動かしている。まるで自分がキスをしているかのように。

平太師匠は木の上でのぞき見をしていたが、頭の中ではノリ子になってキスをしていたわけだ。その光景を「見ている側」であるはずの平太だが、もう頭ん中では「見られている側」になっているわけだ。自分がなりきっている人格を俯瞰で見ている。

何が言いたいかというと、平太師匠は実に器用な脳みそを持っている。

 

今これを読んでいる人は目を瞑ってでもいいんで、自分が杉元のようにはちゃめちゃに強いと思い込んでみてほしい。そして自分が羆や兵士をなぎ倒している姿を想像する。自分の頭の中で、自分がどんなに傷を負っても相手を猛打している姿を、どこか別の場所から見ている。

これぐらいならできるだろう。

じゃあ目を開けた状態で、杉元並に強い自分が目の前で暴れ狂っているところを想像し、さらに妄想している自分の身体も暴れ狂って相手をなぎ倒しているように動かす。この時、自分のことはもう完全に杉元だと思い込み、疑いもせず、事実として記憶する。

できるだろうか?

脳科学や一種の精神疾患など、専門的な知識はないため、これがどういった症状に値するのかなどということについては語らない。

だが、こういった複雑な脳の切り替えが無意識に行われてしまう。通常時ではとてもできそうにはない。それができるようになってしまった。自分の意思とは無関係どころか、死を持ってでしか止めることができなかった。そこに至るきっかけは、平太師匠が聞きかじったウェンカムイの話である。

アシリパは言った。「中途半端にアイヌのことを聞きかじってしまった」と。

正しい情報、経緯などを曖昧に耳に入れてしまったがために、情報の欠けている部分を不安や恐怖で埋めてしまう。

 

最近の事例でわかりやすいのが、ドラッグストアなどからトイレットペーパーが一瞬で消えたことだろう。

たったひとつの発信元から、情報の精査も行わず不安や恐れが先行した。不安は人を、正常時なら考えられない行動をさせてしまう。

あの時、正しい情報がきちんと伝わっていたなら、買い占めなどは起こらなかったのではないか。曖昧で不安を煽るような情報が飛び交い、人は不安を補うために物を大量に確保しようとした。

冷静に考えれば、行動する前に調べたなら、製紙工場

が国内にもあることは理解できただろう。

 

アシリパが「正しく伝えなければいけない」と言ったのは、私は文化だけではないと思う。情報すべてがそうだ。正しく伝われば誤解も生れず、相互理解にも繋がるのではないだろうか。

 

そもそも金塊は和人と戦うために集められたとされている。

だがおそらくウイルクは、戦わずして和人との共存の道、もしくはアイヌ存続の道を提案したのではないか。

そこで意見が違えた。戦って勝って、国や民族を治めるのはもっとも手っ取り早い手段だ。だがそこに生じる犠牲は計り知れない。正しいアイヌの在り方、文化、生き方。それらを和人に正しく知ってもらい理解してもらえれば、共存という道も開けるかもしれない。

 

ただアシリパが暗号の鍵について思慮したとき、「道理さえあれば杉元と地獄に堕ちる覚悟だ」と胸に抱いた。

そして暗号の鍵を杉元が知れば、アシリパを置いてひとりで戦いに行ってしまうとも。

いったいウイルクはアシリパに何を託したのだろうか。至極簡単に考えるなら、アイヌが生き残るにはアイヌという国をつくり、統治する側になる。それぐらい過激な手段をとることもない辞さないかもしれない。争わず、生き残る手段としては常套かと思う。

しかしそれだって過酷な選択だ。

どうやったって和睦とは永遠に人間が得られないものかもしれない。

和を尊ぶ者が犠牲となり、他を配下に敷き、争いごとを禁じる法などで治めるほかない。

犠牲になるというのは、人の最も上の存在として立つ者は、多くの怒りをも買うからだ。反対する集団に対しでも心を鬼にして信念を一貫せねばならない。

民族然り、集団を統べるとは信念を貫く覚悟と、一方で残酷な判断を迫られくださねばならない。

そういった意味での「地獄」をも、アシリパは視野に入れているのではないかと思う。