どぶろく

ゴールデンカムイの感想や個人的に気になったことをまとめています。

【ゴールデンカムイ妄想回】シンエヴァからゴールデンカムイを考える

※今回はシンエヴァンゲリオン:||のネタバレを含みます。まだ見てないよって方はお気をつけください。

あくまで私がシンエヴァを見てゴールデンカムイに通ずるものがあるなと感じた妄想です。

 

 

 

 

まず、なぜシンエヴァからゴールデンカムイへの類似性を感じたかというと、親が遺した願いに対して子供が落とし前をつける。そこにある。

私は単行本で作品を追っているため、ここからは単行本24巻掲載までの内容で語る。(本誌の展開によってはまーったく違うよ!って部分は目を瞑ってほしい)

 

シンエヴァではゲンドウの願いである人類補完計画を阻止した。ゲンドウの願いは個々の人格や感情による差別のない統一的な安寧と妻であるユイとの再会。言ってしまえばゲンドウはこの願いのために息子であるシンジだけでなく、世界中をも巻き込んだ。個人の願いの成就にしては対価が大きすぎる。

しかしこれはウイルクにも似たようなことが言える。

ウイルクはテロリストであった。行いが行いだっただけにテロリストとして指名手配されていたが、自分たちの立ち位置をより良いものにしたいと願う革命家である。極東ロシアの独立のため、金塊を奪いそれをアシリパに託した。ウイルクの場合は個人の願いではないが、ウイルクが率先して革命を行い、意志を託すという形で娘であるアシリパを巻き込んでいる。

子供からしたら「いや、あんたの願いなんて知らねーし」と思うかもしれない。

シンジだっていきなり呼び出されてよくわからないロボット的なものに乗って戦えとか言われて最初は拒絶した。誰だってそうだ。

真相が憶測の域を超えぬ状態で父親が金塊強奪犯になってて、いざ会ってみたら顔の皮は剥がされてるしほんとうに捕まってるし、金塊の在り処に通ずる鍵を握っているのはおまえだとか言われても「わけがわからないよ!」となる。

しかしシンジもアシリパも、わけがわからないからエヴァに乗ったし、真相を突き止めるため杉元と手を組んだ。

 

そして父親の意図に指先が触れると、その落とし前をつけなければいけないと決意する。

アシリパはたとえ地獄に落ちようと、まで意志を固くした。これは贖罪に対する贄を必要とするシンエヴァの世界にあったとおり、アシリパは自身の潔白を贄にしてでも父親が遺した願いに対する落とし前をつけようとしている。

 

そもそもタイトルのゴールデンカムイとはなんなのか。

ゴールデンとは「金色の」や「繁栄」を意味するらしい。(wikiより)

金色のカムイ。繁栄のカムイ。

カムイとはアイヌ語で神を意味する。

ここだけは神殺しをしようとしたシンエヴァとは違うが、問題はウイルクがアシリパに託した金塊が、神の枕詞として使用されている可能性だ。

可能性と言うのは、この時点でタイトルのゴールデンが金塊を指すのかどうかは不明だからだ。

金塊を探す物語なのだからタイトルの「ゴールデン」は金塊、すなわち「金色」を指すのだろうが、金塊は金に替えられる。金は繁栄の礎となる。この「ゴールデン」が繁栄の要として神と同等であることを指すのなら、あらゆるもの(生物から無機物まで)に神が宿っていると信じるアイヌ民族からすると、お金にも神が宿ると考えても不思議ではない。

しかしお金に神が宿るとはどういうことなのだろうか。

ここで熊送りの儀式を思い出してほしい。

育てた小熊を神の元へと送る儀式だ。これは食用に相応しい成長した熊を得るための生贄ともとれる。

より大きなものを得るためには儀式と贄を必要とする。

ここにもシンエヴァとの親和性を感じたのだ。

宗教的観念はシンエヴァアイヌではかなり異なる。そもそもほとんどの宗教には神は唯一の存在であるが、アイヌの神はひとりではない。しかしこれは神が動物や物に自らの力を分け与えていると考えると、アイヌにおいても神は唯一の存在であると考えられる。

何巻だったか忘れたが、神が熊やら鮭やらを地上に送り出している描写があったはずだ。つまりそれぞれに宿るカムイとは神の化身のようなものであるのかもしれない。

 

まあ尾形が言うように、神というのはあやふやな存在なのでここで言及しても結論は出ないが、ウイルクがアシリパに繁栄のカムイを宿すことを願ったのだとしたら、それにより犠牲になった村の長九人はウイルクが手をかけなかったとしても、なんらかの形でアイヌ存続の贄となったとも考えられる。

アイヌのために、アイヌ民族が生贄として差し出された。まるで熊送りの儀式のように。

そしてシンエヴァは、人々の魂の浄化のために人が犠牲になる。一番の犠牲は最後までゲンドウに協力を惜しまなかった冬月だろう。

 

そしてゲンドウ=ウイルクと強引な符号を用いるなら、妻の存在もまた類似する点だと思う。

ゲンドウの場合は人類補完計画の一環としてユイが犠牲になってしまった。ウイルクの場合は妻は病死であるが、ウイルクにアイヌのあらゆることを教えてくれた存在である。それはウイルクがアシリパに「新しい未来」と名付け、願いを託したトリガーになったのかもしれない。

 

これはあくまで私の想像だが、アシリパはウイルクの願いをそのままの形では実現しない気がする。

ウイルクの考えは尊重するが、アシリパアシリパなりの方法によってアイヌを守ろうとするのではないか。それは父親の願いには犠牲を必要とするからだ。そうではなく、アシリパは地獄に落ちる覚悟を決めるが、どこかで「そのやり方はちょっと違うのではないか」と葛藤しているようにも思える。

それは杉元との出会いによるものが大きいかもしれない。和人である杉元と共に旅をしていく中で、民族とは集団として閉鎖的であることが存続するための方法にはならないのではと感じている気がするのだ。

民族という枠組みで囲うことが守ることなのか。もっと多角的に認め合い、手をとることで守られる、いや尊重し合うことで失われずに済むのではないかと、ウイルクとは別の視点を見つけているのかもしれない。

 

ウイルクの教えを100%トレースせずひとつ上のフェーズを切り拓くことと、シンエヴァでシンジがゲンドウを諭し解放すること。そうすることで世界に色がつく結末(ゴールデンカムイはまだどうなるかわからんが)がなんだか重なるなあと感じたわけだ。

 

まあ親が遺した願いを子が精算し、世界や民族をどう残すかという点においてだけ考えれば、新しい世代、アシリパがどう変えていくかはこれからより楽しみになった。

 

というか、アシリパは父親が殺されたことに対してもっと憎しみを抱いてもいい気がするのだが、あまりにも多くのことを背負わされすぎて憎むという感情を抱く暇もないのだろうか。

まだ14歳かそこらへんの子供にしては「それで大丈夫なんか?」と心配にもなるが、杉元に子供扱いするなと言った手前、大人になるしかなかったのか。

どうか大人になる前にもっと甘えて喚いてほしい。余計なお世話だがもう少し自分の欲求に素直になってほしい。白石のように。