どぶろく

ゴールデンカムイの感想を毎週木曜日に更新しています。

ゴールデンカムイ[特別編]アイヌ語アイヌ文化と東北・東北方言のシンポジウムへ行ってきた

今回、弘前学院大学で行われたシンポジウムで、なんと「漫画史におけるゴールデンカムイ」というタイトルの講演も行われると聞き、足を運んだ。

 

現在、アイヌ語は絶滅危惧にあるというお話から始まった。

アイヌ文化は文字を持たず、その文化は口伝継承でしか残されないため、アイヌ語が失われるということは文化を残す手段も消えてしまう。

今回のシンポジウムは、日本が戦後、単一民族を強調し今に至るが、文化の多様性を知り、尊重することの大切さを伝えるものだった。

 

まず北原モコットゥナシさんによる、アイヌ語アイヌ文化のお話から始まるが、まずこのブログの中心である「ゴールデンカムイ」とアイヌ文化のお話を今回は書いていこうと思う。

北原さんのお話は、またの機会に。

 

お話してくださったのは、弘前学院大学教授の井上愉一先生。

井上先生は、ゴールデンカムイ2巻のフチと杉元の会話に注目した。

 

フチがアシリパが寝たあと、アイヌの言葉で杉元に話すシーン。

本誌ではこのフチの台詞に日本語訳がなかったという。この頃まだ本誌を読んでいなかった私も驚いた(アニメでは字幕もあったが)

杉元はフチの話すアイヌ語がわからない。

だが少しの沈黙のあと、杉元はフチの言葉をなんとなく理解し、アシリパがフチにとても大切にされていると解釈した。

 

このシーンから井上先生は、言語が違えど気持ちは通じる。ここに文化の多様性と、多文化を理解しようと試みることが、文化を越え人を理解することに繋がる。先生のお話から私はそう感じた。

何度も読んでいたシーンだが、改めて気付かされた。

しかし杉元はこのあと、言葉の通じるアシリパの気持ちを汲むことはできなかった。

相手の気持ちを理解することは、言語の違い以上の難解さがあるのだ。

 

さらに井上先生はゴールデンカムイにおいての、食文化の描写の深さに着目した。

ここでスクリーンには、リスの捌き方を懇切丁寧に語り、杉元に脳みその洗礼を与え、上品なシサム(和人)のためにリスの肉を細切れにしつみれ汁にしたものを振る舞うアシリパのシーンが映し出される。

この時「はい!チタタプ出ました〜!」と叫びたいのをぐっとこらえた私を褒めていただきたい。

 

井上先生も仰ったが、ゴールデンカムイはテンポの早い漫画だ。これをジェットコースターのようなストーリー展開と表現した。ほんとうにそうだ。1話読んだだけで展開の速さと衝撃の豪速球に、読者は毎回息切れ必須だ。

そんな作品において、食事のシーンだけはとてもコマを割いて丁寧に描写されている。

 

狩った動物の捌き方から調理方法、そして美味しんぼを彷彿とさせる杉元の食レポ(この下りを語っていた先生がとてもニコニコされていたのがかわいかった)

こういった歴史という縦軸の流れに、横の広がりを見せながら展開していく。その結果、単調になってしまう歴史をなぞるだけの流れに幅を見せている。それがゴールデンカムイの魅力のひとつであるとも語った。

 

私はこの横幅には、野田サトル先生の綿密な取材が大きく起因していると思う。

同じアイヌでも、ニヴフ、ナーナイ、樺太、千島アイヌ。それぞれの文化を非常によく掘り下げ、わかりやすく描いている。

そしてアシリパ樺太に渡り、樺太ニヴフ、ナーナイアイヌの文化を知り感銘を受ける。

同じアイヌ民族でも、海を越えればその土地に適応した文化や教訓が存在している。

北原さんのお話を伺った際にも思ったが、アイヌ民族はひとつの国のようだ。アシリパはその多様性と適応性の高さに、アイヌ民族は消滅してはならない民族だと強く思ったのではないだろうか。

これが、キロランケが命をかけてアシリパに見せたかった、「アシリパの知らないアイヌの姿」だ。同じ民族が、異なる風習の中でも手を取り合い民族を守ろうと結束する。そのためのシンボルになるべく育てられたアシリパ

 

白石に至っては、ナーナイのちんぽのお守りに命を救われている。

風習は異なれど、神は人に平等だった。ちんぽ折れちゃったけど。

 

井上先生はゴールデンカムイの素晴らしさを語るために、手塚治虫先生の「シュマリ」と「勇者ダン」を紹介した。

この時井上は、シュマリは虫プロが倒産したあとに描かれた作品だと紹介したが、井上先生ェェェェ(猿叫)!!虫プロって略し方も、そもそも虫プロダクションを存じているのはおそらくオタクだけですよ!(普段周りに通じているのでつい一般人にも略称で語ってしまうオタクあるある)

 

この2作は同じアイヌをテーマにした漫画であるが、井上先生は2作ともアイヌ文化をモチーフにしたファンタジーだと語る。

私はこの2作品とも読んだことはないのだが、ざっと説明されただけでもあまりアイヌ文化を主軸にした作品だとは思えなかった。

むしろアイヌ文化を調味料としてふりかけた作品。そんな印象を抱いた。

 

対してゴールデンカムイは徹底的にアイヌ文化と民族の危機を描いている。

というか、金塊の存在、それを欲する者の存在が、アシリパアイヌ民族の危機に警鐘を鳴らしている。

しかし、ただアイヌ民族の危機的状況とそれをどう回避するかだけのストーリーであれば、ここまでのボリュームはなかっただろうし、奇異、もとい魅力的な登場人物も格段に少なかっただろう。

ゴールデンカムイの魅力のひとつに、強力なインパクトを与えるキャラクターの存在も欠かせないと思う。もう誰が主役でもおかしくないくらい、キャラクターひとりひとりがアクの強いスパイスのようだ。

だがこれがうまく物語にマッチしている。

これだけ個性的なキャラクターが多数登場しているにもかかわらず、胸焼けを起こさない。このどのタイミングでキャラクターを登場させるかの絶妙なバランス、展開、場面の切り替え、横幅のもたせ方、まさに闇鍋である。しかもそれがうまい。闇鍋なのにうまいのだ。

 

私は井上先生の仰った「歴史になぞらえた縦軸のストーリーに丁寧な食事シーンなどの横幅を持たせている」という表現を聞いて、歴史的で一辺倒なストーリーが白米だとすると、横幅はふりかけだと思った。

綿密に調べあげたアイヌの歴史は、とてもおいしい白米だ。それにさらに文化というこれも丁寧な取材の元に作られた上等なふりかけ。これがおいしくないわけがない。白米、何杯でもいけちゃう。

実際、私は無知であったアイヌ文化に興味を持ち、函館まで向かった。アイヌの歴史に触れるため、函館民俗資料館へ足を運んだ。

さして上手くもないふりかけだったり、いくらおいしい白米であっても、ここまでおかわりはしないだろう。

加えてゴールデンカムイには、個性的なキャラクターという、ごはんですよ的なごはんのお供も存在する。

もうね、炊飯器ごと白米食べてる状態。

実際こうしてアイヌに関するシンポジウムに参加するくらいだもの。

そういえば第七師団繋がりで、地元の自衛隊の中にある明治陸軍の資料館にもお邪魔させていただいた。

 

このはちゃめちゃに美味しいごはんのお供によって、私のような無知なひとりの読者が、アイヌを知るきっかけとなったのだ。

多分、シュマリを読んでもここまで行動力を突き動かされなかった。それくらい、ゴールデンカムイにはアイヌを知りたい!と思わせる要素が散りばめられているのだ。

 

そして郷土愛も民族意識もない私は、キロランケやウイルクがどうしてあそこまで必死になってアイヌを守ろうと戦ったのかが、いまいちわからなかった。

だが今回のシンポジウムを拝聴し、文化が消滅することは人間が多様性を理解する機会が減ることなのかなと思ったのだ。

多様性を認めるにはまず、その文化を知らなければならない。知らなければ認めることもできない。

杉元が2度、アシリパの気持ちを理解しきれなかったように、(2度目はフチが見た夢の話でアシリパが不安になった際、我慢しなくていいんだよと杉元が言ったくだり)杉元もアシリパの覚悟を知ることでようやく理解しあえたのだ(このシーンはまだ単行本化されてない)

 

民族だけでなく、日本は今、戦後の単一民族主義から(戦前まで多民族主義であったが、敗戦後に、やっぱ我々は日本に住む日本人だ!という意識が強くなった)様々な人間の持つ特徴を理解しあわなければいけない時代だ。

性差しかり、違ってあたりまえだからこそ、その覆せはしたい差を比較するのではなく、知って、理解する。もういっそ理解しなくてもいいから「そういうものなのだ」と否定せずにいてほしい。というか、個体差なんて否定するものでないしな。

 

野田サトル先生がアイヌ民族の方を取材した際、「かわいそうなアイヌを描かないでくれ」と言われたエピソードがある。

「かわいそう」民族に対し、そう思う感情の根源は差別だと思う。確かに酷い扱いを受けた歴史はある。だが彼ら彼女らを「かわいそう」と哀れむことは、民族の生き方、文化を下に見ていることにも繋がるかもしれない。

アイヌ民族は決して「かわいそう」ではない。

キロランケもウイルクも、アイヌを守ろうとして命を賭した。それを「かわいそう」の一言で済ませてはいけない。だってアシリパはあんなに逞しくアイヌを先導しようと生きているのだから。

そこまで感じさせたのは、やはりこのゴールデンカムイという作品が、アイヌ民族中心で描かれていないからだと思う。

和人が大いに関わることによって、文化の違いがはっきりとし(食べ物、言葉など)そして、知ることができるのだ。

文化を知り、継承していくことで異なるものへの理解を学ぶきっかけにもなる、そう感じた。

 

余談だが、井上先生と岡田斗司夫さんの対談が見てみたいと思いました。

ゴールデンカムイ 139話~148話「網走以降からを振り返る」(前編)

 

前回おしらせした通り、毎週更新はやめ、とりあえず樺太編からの振り返りをしていく。 

単行本巻数でいうと14巻139話~15巻148話まで。いやほんとうは16巻まで書けるかなと思ってたんだけど、148話ですでに文字数が3000字を超えたのでここまでにしとこうかと。

それでもだいぶ飛ばして書いてるからね?

てかそりゃそうなんだよ。毎週1話1000~2000文字で書いてるんだから。10話で3000文字で済んでるの、いつもよりアクセル踏んでるからね?(ふざけたことを極力書いていないのでエコではある)

考査や感想というより、これまでの経緯をまとめた自分のための備忘録のような内容になる。感想は散々毎週書いてきたので。

 

まず網走監獄編を終え、キャラクターは三つのグループに分かれた。

土方、門倉、牛山、夏太郎(その後キラウシが追加)の土方チーム。

 

樺太編からの主軸となる、

キロランケ、尾形、アシリパ、白石のキロランケチーム。

 

キロランケチームを追うために鶴見中尉から選抜された、

月島、鯉登、杉元、谷垣withチカパシ&リュウの先遣隊チーム。

 

まず土方チーム。

教誨堂の地下を発見した土方。そこには犬童典獄の隠し部屋が。犬童典獄が土方をおびき出す餌として、刺青をもつ囚人の情報をたくさん得ていた。だがゾッとする牛山。

それもそのはず、オタクの部屋の壁と見紛うような手描き?の土方イラスト(犬童が描いたかどうかは不明だが。犬童が描いたんだろうな。人に描かせたら引かれるもんな。絵、うまいな。イヌドゥ・・・)それに加え土方の情報までも年表式で事細かに記してある。どんだけ好きなんや。過度の憎しみは対象への執着心となる。

ここで改めて読んで気づいたのが、門倉の名前が「タヌキ」と書かれている。犬童、土方以外にまったく興味なしとの証拠である。

「あいつ・・・下の名前なんだっけ?タヌキでいっか」

土方以外のことには、極端にいい加減な犬童であった。

そして、意外な収穫を得た土方チームは網走から南へ向かおうとする。

なぜ南へ?みんな北に向かってるんだけど。

 

一方その頃、キロランケチーム。

キロランケと尾形は何やらきな臭い話をしている。

ここで!この二人が初めて会話をしている描写が出てくるのだ。逆に言うと、読者がキロランケと尾形にはなんの接点もないと思っていた。だって会話が一切なかったんだもの。

だから12巻116話、ラッコ鍋回でアシリパがキロランケに「キロランケニシパがアチャを殺したの?」と聞いたシーン。あの時、証拠を差し出しさらにキロランケがウイルク殺しの犯人だと問い詰めたインカラマッに対し、尾形は「こいつは鶴見中尉と通じているぞ」と銃を向けた。

この尾形の発言で、キロランケへの疑惑が薄まった。そして尾形はインカラマッと鶴見の関係性について言及する。

今思うとこの流れは、尾形がキロランケへの疑惑から皆の目を逸らしたのではないかとも考えられる。

尾形がインカラマッを庇った谷垣を問い詰めたことと、キロランケとの接点がそれまでなかったことから、尾形がキロランケを庇ったなどとは微塵も考えなかった。

私はサトルの巧みなストーリー構成に、まんまと本懐を逸らされていたのだ。キロランケがここでウイルクを殺したと誤解されるのは、これからキロランケに加担する尾形にとっても不都合だったのだ。この時点で二人が共同戦線を張っていたことを示唆していたのかもしれない。

ただ、結局指紋は検出されたがウイルクは生きていた。

インカラマッの言った指紋の件は、単なるカマかけだったのだろうか・・・。

話は戻って、この二人きりでの会話で、尾形はキロランケがテロリストであったとを知っていることがわかる。つまりキロランケの意図を理解していることが窺われる(同意しているかどうかは不明)

そしてインカラマッの言うように、キロランケの指示でウイルくを撃ったこともわかる。しかしキロランケは尾形に杉元を撃つことまでは指示していない。それがわかるのは「杉元まで撃つ必要があったのか」の台詞だ。

それについて尾形は、ウイルクが杉元に金塊の鍵を話している可能性があったから撃ったと話す。だが弾は殺傷性のあるものでもなく、杉元が咄嗟にウイルクを盾にしたので、まだ生きているかもしれないと不敵な笑みを見せる。

尾形は、自分の意思か誰かの指示かは不明だが、金塊の鍵が他の人間に知られることを防ぐ必要があったことがわかる。

そしてキロランケと尾形は、唯一金塊の鍵を知っているはずの

アシリパ樺太まで連れ出し、ウイルクの足跡を追うことで記憶の中にあるはずの鍵を引き出そうとする。

この時点でキロランケと尾形は、結託して金塊を見つけよう、他のチームを出し抜こうとしている。ここでなぜ尾形がキロランケに協力的なのかはわからない。

 

そして、そのキロランケチームを追うのが、先遣隊チームだ。

鯉登の父の協力で、駆逐艦雷で樺太の玄関口「大泊」に渡る。(こんなことに海軍の戦艦を使用していいのか)

大泊にてアシリパの聞き込み調査をする中、アイヌの少女に出会う。樺太アイヌの少女はエノノカ。彼女はアシリパに会ったという。

早速有力な情報を得た先遣隊チームは、エノノカと犬ぞり交渉をし、さらに聞き込みを開始する。

そしてスチェンカという、ロシア独特の賭け格闘にて刺青の囚人、岩息とやり合う。岩息の刺青の写しを手に入れ、先遣隊チームが手にした刺青人皮は13枚となった(プラス偽物5枚)

 個人的に上半身裸に軍用コートを羽織った鯉登がかっこよかった。さながら仮面の貴公子を思い出させる、男臭い格闘場の中においても気品の高さは譲らない姿勢。薩摩の貴公子。

あとあまり気づいてる人がいなくて悲しかったんだけど、岩息さんのあれ、ザンギエフのダブルラリアットじゃん!!!うおおお!!さすがロシア!!!(まだロシアじゃない)

ザンギエフと言えば、エンディングでゴルバチョフらしき人が出てくるのが、今では考えられない演出だったことを思い出した。死ぬほど今はどうでもいい話だけども。ていうかさっきからなんでストツーの話になってんだろ。おかげでどんどん文字数が増えていくぜ。まだ15巻の中盤だってのに。

 

さて、物語はキロランケチームに戻る。

キロランケは狐の飼育場にかつてウイルクの生まれた村があったとアシリパに語った。

ではその村や村人たちはどこへ行ったのかの疑問をアシリパはキロランケに投げかける。

その答えは社会の授業でもやった「千島樺太条約」である。

元々樺太はどこの国の領土でもなかった、しかし「千島樺太条約」によって、千島を日本領にする代わりに、樺太はロシア領土となった。

樺太に住んでいた和人(日本人)は、撤退を強いられた。しかし、漁業で親交のあった樺太南部沿岸に住んでいたアイヌ人には、日本かロシア、どちらの国籍を名乗るかの選択そ与えた。

ウイルクは母親が樺太アイヌであったが、父親がポーランド人であったため、北海道には渡れず樺太に残った。だが北海道に渡ったアイヌのほとんどが伝染病で亡くなり、ウイルクの村には北海道に渡った者は誰ひとり戻ってこなかった。

この経験が、おそらくウイルクの中で革命の火種になったのではないかというようなことを、キロランケはアシリパに語る。

戦争が、日本とロシアの領土争いが、無関係な樺太アイヌの民族を振り回しすりつぶした。とキロランケは語る。

ではなぜウイルクは金塊を独り占めしようとしたのか。当然アシリパはそこに疑問を抱く。キロランケはその答えがこれから行く樺太の旅にあると諭すのだった。

 

ここで歴史の授業で必ず出てくる「樺太千島交換条約」。あえて説明するまでもないと思うが、さらっとおさらい的な意味で書いておく。このために押入れから社会の教科書を引っ張り出してきた。(どうでもいい)

そもそもアジアは国境に対しては、国際的に無頓着だった。ここで日本は、近代的な国際関係にならおうと国境線を定めようとする。そうして領土問題に本腰をあげた。

樺太は幕末にロシアと結んだ条約でも、どちらの領土かは不明瞭だった。それが1875年(明治8年)の樺太千島交換条約により、ロシアは樺太の領土を得た。日本は千島列島を得たが、それからもロシアとの国境問題は日本政府にとって悩ましい問題となっていく。

それにより、政府は屯田兵をもちいて蝦夷地を北海道に改め開拓を進めていった。

しかし開拓により、先住民であるアイヌ民族は土地や漁場を奪われる形となった。これまで過去二回、アイヌは漁場や交易などの権利で和人と戦争を起こしたが、どれも敗北している。

そしてこの開拓では土地や漁場だけではなく、アイヌ民族の伝統や文化なども否定する政策まで勧められたのだ。

いわば、キロランケが言った、樺太千島条約だけではなく、アイヌ民族は北海道南部でも危機に貧していたのだ。

 

というのがざっくりとした千島樺太条約とアイヌ民族との関係。

ここでまた尾形はキロランケと密談する。

アシリパがこちらにいる限り、刺青の有無を問わず金塊は誰の手にも渡らない。そのことを尾形はキロランケに確認していた。

まーったく目的の見えない尾形の中では、他の人間に金塊を見つけられることを警戒しているように思える。ならばキロランケに協力して、他の人間を出し抜こうとしているのか。

尾形の目的は金塊を手に入れることではなく、手に入れさせないことのようにも思える。

 

と、ここまででもう3000文字を超えてしまったので、一旦締める。

次回は15巻149話のいご草ちゃん回から振り返るので、よろしくお願いします。

お知らせ

1年間、ヤングジャンプに連載があった日は欠かさず続けてきたゴールデンカムイ感想ブログですが、不定期更新にします。

先々週、いやもっとかもしれませんが、休載を知るとほっとしたり、毎朝仕事前にアプリで読むことが辛くなってきていることに気づきました。
あ、これはもう自分の中で趣味じゃなく義務になってるな、と。

6月から仕事が変わり、以前よりスマホに触れられる機会が減り、その少なくなった時間の中で当日に最新話を読み、ブログを更新するという作業が正直辛くなってきました。

加えて原作の展開もややこしくなり、単行本でまとめて読みたいなという気持ちも出てきました。

なので次回からは不定期で、ゴールデンカムイについて思ったことを余裕のある時に更新していけたらなと思います。

今、樺太編(14巻終わりあたり)から、月島過去回までを振り返る記事が下書き保存されています。
これもまだ途中の段階でかなり長くなっているので、更新日は未定です。気が向いた時にでも、当ブログに目を向けてくだされば幸いです。

ゴールデンカムイ221話「理想」

今回の一連の平太師匠は、単なるホラーではなく脳科学から見るととてもおもしろい。
いや、脳科学全然くわしくはないんだけど。ちょっとあちこちから断片的に拝借した知識を持って推測する。私的、道東のヒグマ男。

松田平太、彼の独白とこれまでの行動でしか語られなかったので、真相はどうであるかの確証は、作中にはない。
平太師匠はあの通りイカれているので、彼の言っていたことがどこまでほんとうで、どこまでが妄言なのかの判断がつきにくい。

だが、砂金に目が眩んだ家族を殺したこと。殺しの衝動が抑えきれずに殺人を繰り返したことだけは事実である。
そして、彼が殺人を犯す際、羆の毛皮を被っていたこと。
ではそれ以外に平太が語っていたことはただの妄言なのか。
妄言なのだ。

平太は12歳の時に、恐ろしい羆の話を耳にした。
いつかは自分も羆に食われる恐怖に怯えるあまり、彼は羆に食われる自分を想像した。それも何度も。
何度も羆に食われる自分が脳内に描かれ、次第にそれは空想を越えて「記憶」になったのだ。

人間の記憶というのは実に曖昧らしい。
たとえば映画を一本見た時、すべてのシーンが記憶に残っているだろうか。
映画一本まるまる暗記できる人間はいないだろう。
より心に残ったシーンだけが、断片的に記憶される。そこに、同じ映画の考査を加えたらどうだろう。その考査が、唸るくらい素晴らしいものだったり、衝撃的な内容だったとしたら、自分の記憶にある映画のシーンの一部として加えられてしまうことも、なくはない。

千と千尋の神隠しが、初めて地上波で放送された日。
掲示板にこんな書き込みがあった。
「映画公開初日には別のエンディングが流れた」
その、別のエンディングの内容が、ありえないとは言いきれない内容だったことと、実際に絵コンテとして存在していたこと。(直前で監督がボツにしたらしいが)それらが重なり、実際には誰も見たことの無いまぼろしのエンディングが、あったような気持ちにさせられた人が少なくはなかったそうだ。
実際には、映画のフィルムを交換するなど莫大な金がかかるので、ほぼ不可能な話であるが、劇場で千と千尋の神隠しを見た人の中にも、地上波で初めて見た人の中にも、都市伝説として残された。
たしか、劇場公開から地上波放送までは1年以上の間があった。
「そういわれてみれば、そういうシーンがあったかもしれない」
断片的に蓄積された記憶に、衝撃的で鮮やかな新しい情報が、自分の過去の記憶として、まるではじめからそこにあったかのように存在してしまうのだ。

こういったことは、映画だけではなく、日常的にも起こっている。
だが、平太の妄想は度を越していた。
羆に食われるかもしれない空想が、空想の域を凌駕し、それに加え家族への恨み。
恐怖はストレスであり脳に不可を与える。
現実にいるかどうかもわからない羆が、もし、自分ではなく家族を殺してくれたなら…。
平太は次第にそんな妄想に囚われていったのかもしれない。それは平太の願いだ。毎日祈ったのかもしれない。どうか家族が羆に殺されますようにと。
そして平太の中にウェンカムイが生まれた。平太の願いは、自らの手で実現された。
平太がウェンカムイを頼ったのは、おそらく僅かながらに罪悪感があったからだろう。
殺したのは自分であるという自覚がありながら、どこかでウェンカムイにも罪を擦り付けていたのかもしれない。
自分では止めることのできない衝動性を、ウェンカムイの呪いのように仕立てあげた。そうすることで平太は罪悪感から心を守っていた。

相反する二つの衝動。理性と本能が平太の中できれいに分断されていのである。
これは多重人格の類ではないと私は思う。
多重人格ならば、別人格の時の記憶はないと言われている。だが平太の中には、しっかりと自分が殺した記憶は残っている。
平太は心を守るために、無意識下で記憶を改ざんし、自分の中のウェンカムイが行動を起こしていることにした。恐怖というストレスからの回避。
人間の脳は、一日でおよそ20%のエネルギーを使うとされている。
当然疲れるので、脳はたまに楽をしようと考えることを放棄するという。
平太の異常性は一種の、脳の回避行動ではないかとも思う。

そして殺した人間に成りすます。
これも罪悪感が起因しているように思える。
殺した人間を自分の中で生かすことで、罪から逃れようとしていたのか。そのへんまではわからないが、家族を殺し、孤独になった平太が自分のためにとった慰めにも見える。

ともあれ、大変気の毒な男である。
アシリパのいうように、伝承が正しく伝わっていないせいで、いらぬ恐怖に取り憑かれてしまった平太。
人は不安な情報にこそ興味を抱いてしまう。
週刊誌の見出しが、不安を煽るコピーなのはそのせいである。
いついつ大地震が起こる、年金がもらえなくなる、この食品が危ない。だの、そういったことの方が、鵜呑みにしがちなのだ。


ところで、表紙の煽り分、とんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」の替え歌だ。知っている人はどれくらいいるだろうか。
私は小学生の頃、吹奏楽部だったのだが、あの曲を演奏させられたことを思い出した。
なぜ吹奏楽でガラガラヘビなのか。
今思い出すと不思議である。

ゴールデンカムイ220話「彼らは存在しない」

え、ノリ子あんなブスだったの?
返してよ、俺のノリ子を。

先週の万策尽きた私の予想がぼんやり当たってしまって驚いている。
平太は複数人説。
しかし、家族やノリ子までもが平太の幻覚が生み出した人物だったとまでは予測できなかった。
今までにない心理ホラー回。
原案は小池真理子ではないかと勘ぐってしまう。

話をざっくりまとめると、平太はポン中あるいは、統合を失調してるのではと考えられる。
すべては平太の一人芝居であり、私たち読者が見せられていた一部は平太の幻覚(幻想)だったと言える。

ノリ子になりきった平太。ノリ子という役割を演じ、嵩にいという役割をも演じ、その二人の愛憎劇まで演じた。
それを木の上から盗み見ていた平太は、おそらく平太の幻想だろう。
要は、平太は無意識下でひとり芝居を演じ、それを俯瞰で見る平太本人も存在していたという流れだろうか。

羆の毛皮を被り、自らが羆になりきり殺した人間たちを喰らい、彼らになりきっていた。
平太が襲った人間たちは、たぶん家族でも恋人でもなく、なんの繋がりもない人間たち。
それを平太が食らうことで、赤の他人同士が平太を取り囲む家族であるかのように、平太は演じていたのだろうか。

そして平太はそれらを、まったくの無意識下でやっていた。
だから自らが羆になりきっていることにすら、気づいていない。なので平太自信も、自分が演じた羆を恐れるのだ。
殺した人間を家族(もしくは砂金掘り仲間)のように演じることで、流れ的に次は自分が羆の餌食になると強く思い込んでしまう。
次は自分が羆に殺される。
その恐怖こそが、平太が欲する刺激ではないかと考える。
平太は自らを強い恐怖の中に落とし込むことを望んでいた。深層心理の中で。

ここからは私の勝手な妄想だが、平太は永らくひとりであったのだろう。
その孤独と、山中でいつ羆に襲われるかもしれない恐怖心が妙な反応を起こし、恐怖を孤独を打ち消すための刺激へと変換したのではないかと思う。
もちろんこれも、平太が自発的にそうなることを望んだわけではなく、平太の処世術だったのかもしれない。

恐怖を払拭するには、さらなる恐怖に自らがなるしかない。
彼は、そうして何度も羆になった。
一度はそれを川に捨てた。これは真実かもしれない。
まだ彼に理性があった頃、このままではいけないと羆になることをやめようと思った時があったのかもしれない。
だが彼は羆になることをやめられなかった。やめることのできない理由として、何度捨てても戻ってきてしまう。自分は悪くない。そう思い込むことで、罪の意識から逃れようとしていた。

もしくは、砂金を独り占めしたいがために、同じく砂金掘りをしにきた人間たち(そうでなくても雨竜川に近づいた人間たち)を羆として殺した。
これも自らの手を汚した罪から逃れるためかもしれないが、人を襲う羆が出没するという噂が流れれば、雨竜川に近づく人間も減るという思いもあったのかもしれない。
殺人鬼よりも、羆の方がより人々に恐れられる可能性は高い。
殺人鬼ならしょっぴかれるが、羆は罪に問われない。
平太はウェンカムイという贖罪の皮を被った憐れな悪魔だったのかもしれない。川だけに。

ゴールデンカムイ219話「誰も彼を知らない」

まず一旦話を整理しようじゃないか。

まず平太師匠(今週から師匠にランクアップ)、最初は砂金掘り師の彼だけが羆の存在に怯えていた。
その羆が人を食ったウェンカムイだとも知っている。
彼の証言によれば、そのウェンカムイは、何年も雨竜川付近をうろついている。
平太師匠には、羆にやられたであろう傷がおでこにある。
昔はアイヌと砂金取りをしていた。アシリパ達が探している、アイヌの金塊を一緒に掘っていた時期があったかもしれない。ということは平太師匠の年齢はキロランケやウイルクと同じくらいか。

そして妙に気になる一コマ。
むしろ私は日が明るいにも関わらず、ゾッとしてしまった。え、ちょっと怖い話ならやめて?めっちゃ苦手なんだって。
人形のような表情で、首が不自然に曲がっている。その部分を強調するかのようなベタフラッシュ。
そして木の上から、嵩さんとノリ子のキッスを、文字通り舐めるように見ている平太師匠。曲芸師のような身の子なし。
この2点、これまで杉元達の前で饒舌に語っていた平太師匠とは、まるで別人…というか、人とは思えない。
私の印象は「傀儡」だ。
首が不自然に曲がっているシーンや、高速で舌なめずりをしているシーンでは、カタカタと傀儡が動く時の独特な音が聞こえてきそうだ。

そしてとうとう杉元と白石も羆を目撃してしまう。
羆の存在は、平太師匠の狂言ではなかった。
しかしアシリパが周囲を探索しても、羆の形跡は見当たらなかった。
いるはずのない羆、平太師匠の不可思議な言動、そこにいるはずのない羆の後ろ姿…。
まったくわからねぇ。
何か考査的なものを語ろうとしたが、まったくもって糸が繋がらない。
私が言えるのは、平太師匠複数人説くらいだ。
初登場時に羆に襲われて、辛うじて生き延びたかのように見えたが、あれはもう一人の平太師匠の可能性。
綾波レイのように、変わりはいくらでもいるのだ。

話は変わって、先週初登場にも関わらず、あの色気で一気に女性キャラトップに躍り出た(私調べ)ノリ子。
やっぱりいやらしい女だった。
外国人と知りながらも臆することなく自分のテントに招き入れ、服を脱ぐ。
野外フェスで3日で3人の男を食った(自称)伝説のあの女を思い出す。
ヴァシリも男なので、本能のままに鉛筆を動かす。早い。鳥を描いていた時とはえらい違いだ。エロ絵師の才能がある。スナイパーにしておくのは惜しい(スナイパーとしてもすごいんだが)

先週、ノリ子は平太や嵩さんの兄弟か?などと言っていたが、嵩さんの嫁もしくは恋人だった。
嵩さんは嫉妬してヴァシリを罠にはめたのか。

オカルト的な平太師匠と羆問題に加え、愛憎劇まで追加されてしまった。
どうなる?雨竜川
北の大地に第二次ゴールドラッシュ!謎の人喰い羆と砂金掘り師が雨竜川で見えないものを見せた!東京で夢を叶えるため、砂金で一発当てようとする嵩に、自らの美貌を持て余すノリ子!突然現れた異国の美丈夫!血で血を洗う物語が、今ここに!(川だけに)

ゴールデンカムイ218話「父さん、仕事辞めて砂金掘り師になろうと思うんだ」

こうしちゃいられねぇ!
雨竜川に「ハク」とやらを掘りに行くぞ!
ハク?知ってるぞ!饒速水小白主だろ!千と千尋で習った!
というね、夢とロマン溢れる回。
もう金塊なんて目じゃない。砂白金(おそらくステンレスかと)に取り憑かれる杉元と白石。
余談だが、万年筆のインクは酸性なので、劣化しないように耐酸性の金属が使われているらしい。
よく目にする万年筆のペン先は金色で、これは高級感を追求し最高まで24金にまで上がったが、コストパフォーマンスにおいて優秀だったのが、鉄やステンレス製のペン先。これに金メッキ加工を施していたと、ウィキペディア先生が教えてくださった。

ともあれ、白石はともかく杉元は完全に最初の手段に立ち返った。
なんだかんだ言っても、金を目の前にすると欲望が露わになる人間らしさ。
もうここで砂白金掘って一発当ててヒンナヒンナしようや。おしまい。
…でいい気もしてきた。いやよくないわ。いろいろ置いてけぼりになってる。

ところでこの平太をはじめとする砂金掘り師たち。
平太が三角眉毛の男を嵩にぃと呼んでいるので、この二人は兄弟なのかもしれない。
そうなると、ほっかむりの老人が父親で、坊やはどちらかの息子か年の離れた末弟、ノリ子は老人の娘であり平太たちの兄妹に見える。
平太たち砂金掘り師は、砂金を掘ることを生業としている一家なのかもしれない。

ここでちょっと久しぶりだなと思ったのが、パーティーに女性キャラがいること。
インカラマッや家永(めんどうなので女性枠にする)を率いていた、谷垣さんチームや土方さんチームぶりの、男性パーティーの中の紅一点。
どうでもいいけどこの一家(おそらく)じいさん以外、眉毛が特徴的である。
加えてノリ子、なんだこの艶かしい容姿は。あからさまに泣きぼくろなんてつけおって。あざとい。
けど、ノリ子。掘り師さんチームの紅一点でありながら、身につけているものにきらびやかさがない。
砂金で一日五十円も当てたのなら(当時と現代のレートはわからんが、たぶん相当な額だろう)もっとけばけばしい成金のような格好をしてても良さそうなものかと思ったんだが…。
まあ帯はそれなりに良いものをつけているようには見えなくもないが。
砂金もそう毎日取れるものでもないだろうし、派手な身なりを嗜むほどガッポガッポ儲けているわけでもなさそうだ。五人で生活していく分にはちょうどいい程度なのだろうか…。

そして平太だが、前々回、羆に襲われたかのように見えたが、しっかり生きている。額に傷は残っているものの、どうにかこうにか生き延びたのか。
はじめは平太が尋常じゃないくらい羆を怖がっている場面で、平太がポン中なのかと思った。
あんな冷たい川に入るんだ。ヒロポンでも打ってないとやってられないのだろう、そうか、仕方ないよな。ぐらいに推察していたが、羆はほんとうにいた。
平太は幻覚を見ていたわけではなかった。じいさんしっかり食われてる。
恐れおののく平太には、羆を彫った、なんだろあれ。小物入れ?がぶら下がっている。お守りのようなものなのか。これのおかげで平太は羆に殺されずに済んだのだろうか。
平太は羆と交渉したのかもしれない。どうか自分だけは殺さないでくれと。そのために彼は何かを生贄にした。その罪を忘れないがための、あの小物入れ?なのか。

…なーんて考えもしたが、この漫画、そこまでファンタジーではなかった。
次号予告「誌上最悪の食害事件」と書かれている。
人の味を覚えてしまった羆が、川を汚す人間への裁きをくだす。悪い神になってしまった羆の鉄槌が振りかざされる。
そんな内容なのだろうか。

またもや砂金で一攫千金の夢を見始めた杉元に、目を覚ませ、おまえの目的はなんだ、この漫画の終着点はなんだと、羆がビンタする回。ビンタで済めばいいのだが。

それにしてもこの砂金掘り師のくだりは、今後のストーリー展開に必要な付箋なのだろうか。
サーカス団のような、息抜き回なのか。
ヴァシリは羆をバーンすることができるのか。うっかりするとヴァシリの存在を忘れてしまう。ノリ子の一言がなかったら完全に忘れていた。