どぶろく

ゴールデンカムイの感想や個人的に気になったことをまとめています。

ゴールデンカムイ 139話~148話「網走以降からを振り返る」(前編)

 

前回おしらせした通り、毎週更新はやめ、とりあえず樺太編からの振り返りをしていく。 

単行本巻数でいうと14巻139話~15巻148話まで。いやほんとうは16巻まで書けるかなと思ってたんだけど、148話ですでに文字数が3000字を超えたのでここまでにしとこうかと。

それでもだいぶ飛ばして書いてるからね?

てかそりゃそうなんだよ。毎週1話1000~2000文字で書いてるんだから。10話で3000文字で済んでるの、いつもよりアクセル踏んでるからね?(ふざけたことを極力書いていないのでエコではある)

考査や感想というより、これまでの経緯をまとめた自分のための備忘録のような内容になる。感想は散々毎週書いてきたので。

 

まず網走監獄編を終え、キャラクターは三つのグループに分かれた。

土方、門倉、牛山、夏太郎(その後キラウシが追加)の土方チーム。

 

樺太編からの主軸となる、

キロランケ、尾形、アシリパ、白石のキロランケチーム。

 

キロランケチームを追うために鶴見中尉から選抜された、

月島、鯉登、杉元、谷垣withチカパシ&リュウの先遣隊チーム。

 

まず土方チーム。

教誨堂の地下を発見した土方。そこには犬童典獄の隠し部屋が。犬童典獄が土方をおびき出す餌として、刺青をもつ囚人の情報をたくさん得ていた。だがゾッとする牛山。

それもそのはず、オタクの部屋の壁と見紛うような手描き?の土方イラスト(犬童が描いたかどうかは不明だが。犬童が描いたんだろうな。人に描かせたら引かれるもんな。絵、うまいな。イヌドゥ・・・)それに加え土方の情報までも年表式で事細かに記してある。どんだけ好きなんや。過度の憎しみは対象への執着心となる。

ここで改めて読んで気づいたのが、門倉の名前が「タヌキ」と書かれている。犬童、土方以外にまったく興味なしとの証拠である。

「あいつ・・・下の名前なんだっけ?タヌキでいっか」

土方以外のことには、極端にいい加減な犬童であった。

そして、意外な収穫を得た土方チームは網走から南へ向かおうとする。

なぜ南へ?みんな北に向かってるんだけど。

 

一方その頃、キロランケチーム。

キロランケと尾形は何やらきな臭い話をしている。

ここで!この二人が初めて会話をしている描写が出てくるのだ。逆に言うと、読者がキロランケと尾形にはなんの接点もないと思っていた。だって会話が一切なかったんだもの。

だから12巻116話、ラッコ鍋回でアシリパがキロランケに「キロランケニシパがアチャを殺したの?」と聞いたシーン。あの時、証拠を差し出しさらにキロランケがウイルク殺しの犯人だと問い詰めたインカラマッに対し、尾形は「こいつは鶴見中尉と通じているぞ」と銃を向けた。

この尾形の発言で、キロランケへの疑惑が薄まった。そして尾形はインカラマッと鶴見の関係性について言及する。

今思うとこの流れは、尾形がキロランケへの疑惑から皆の目を逸らしたのではないかとも考えられる。

尾形がインカラマッを庇った谷垣を問い詰めたことと、キロランケとの接点がそれまでなかったことから、尾形がキロランケを庇ったなどとは微塵も考えなかった。

私はサトルの巧みなストーリー構成に、まんまと本懐を逸らされていたのだ。キロランケがここでウイルクを殺したと誤解されるのは、これからキロランケに加担する尾形にとっても不都合だったのだ。この時点で二人が共同戦線を張っていたことを示唆していたのかもしれない。

ただ、結局指紋は検出されたがウイルクは生きていた。

インカラマッの言った指紋の件は、単なるカマかけだったのだろうか・・・。

話は戻って、この二人きりでの会話で、尾形はキロランケがテロリストであったとを知っていることがわかる。つまりキロランケの意図を理解していることが窺われる(同意しているかどうかは不明)

そしてインカラマッの言うように、キロランケの指示でウイルくを撃ったこともわかる。しかしキロランケは尾形に杉元を撃つことまでは指示していない。それがわかるのは「杉元まで撃つ必要があったのか」の台詞だ。

それについて尾形は、ウイルクが杉元に金塊の鍵を話している可能性があったから撃ったと話す。だが弾は殺傷性のあるものでもなく、杉元が咄嗟にウイルクを盾にしたので、まだ生きているかもしれないと不敵な笑みを見せる。

尾形は、自分の意思か誰かの指示かは不明だが、金塊の鍵が他の人間に知られることを防ぐ必要があったことがわかる。

そしてキロランケと尾形は、唯一金塊の鍵を知っているはずの

アシリパ樺太まで連れ出し、ウイルクの足跡を追うことで記憶の中にあるはずの鍵を引き出そうとする。

この時点でキロランケと尾形は、結託して金塊を見つけよう、他のチームを出し抜こうとしている。ここでなぜ尾形がキロランケに協力的なのかはわからない。

 

そして、そのキロランケチームを追うのが、先遣隊チームだ。

鯉登の父の協力で、駆逐艦雷で樺太の玄関口「大泊」に渡る。(こんなことに海軍の戦艦を使用していいのか)

大泊にてアシリパの聞き込み調査をする中、アイヌの少女に出会う。樺太アイヌの少女はエノノカ。彼女はアシリパに会ったという。

早速有力な情報を得た先遣隊チームは、エノノカと犬ぞり交渉をし、さらに聞き込みを開始する。

そしてスチェンカという、ロシア独特の賭け格闘にて刺青の囚人、岩息とやり合う。岩息の刺青の写しを手に入れ、先遣隊チームが手にした刺青人皮は13枚となった(プラス偽物5枚)

 個人的に上半身裸に軍用コートを羽織った鯉登がかっこよかった。さながら仮面の貴公子を思い出させる、男臭い格闘場の中においても気品の高さは譲らない姿勢。薩摩の貴公子。

あとあまり気づいてる人がいなくて悲しかったんだけど、岩息さんのあれ、ザンギエフのダブルラリアットじゃん!!!うおおお!!さすがロシア!!!(まだロシアじゃない)

ザンギエフと言えば、エンディングでゴルバチョフらしき人が出てくるのが、今では考えられない演出だったことを思い出した。死ぬほど今はどうでもいい話だけども。ていうかさっきからなんでストツーの話になってんだろ。おかげでどんどん文字数が増えていくぜ。まだ15巻の中盤だってのに。

 

さて、物語はキロランケチームに戻る。

キロランケは狐の飼育場にかつてウイルクの生まれた村があったとアシリパに語った。

ではその村や村人たちはどこへ行ったのかの疑問をアシリパはキロランケに投げかける。

その答えは社会の授業でもやった「千島樺太条約」である。

元々樺太はどこの国の領土でもなかった、しかし「千島樺太条約」によって、千島を日本領にする代わりに、樺太はロシア領土となった。

樺太に住んでいた和人(日本人)は、撤退を強いられた。しかし、漁業で親交のあった樺太南部沿岸に住んでいたアイヌ人には、日本かロシア、どちらの国籍を名乗るかの選択そ与えた。

ウイルクは母親が樺太アイヌであったが、父親がポーランド人であったため、北海道には渡れず樺太に残った。だが北海道に渡ったアイヌのほとんどが伝染病で亡くなり、ウイルクの村には北海道に渡った者は誰ひとり戻ってこなかった。

この経験が、おそらくウイルクの中で革命の火種になったのではないかというようなことを、キロランケはアシリパに語る。

戦争が、日本とロシアの領土争いが、無関係な樺太アイヌの民族を振り回しすりつぶした。とキロランケは語る。

ではなぜウイルクは金塊を独り占めしようとしたのか。当然アシリパはそこに疑問を抱く。キロランケはその答えがこれから行く樺太の旅にあると諭すのだった。

 

ここで歴史の授業で必ず出てくる「樺太千島交換条約」。あえて説明するまでもないと思うが、さらっとおさらい的な意味で書いておく。このために押入れから社会の教科書を引っ張り出してきた。(どうでもいい)

そもそもアジアは国境に対しては、国際的に無頓着だった。ここで日本は、近代的な国際関係にならおうと国境線を定めようとする。そうして領土問題に本腰をあげた。

樺太は幕末にロシアと結んだ条約でも、どちらの領土かは不明瞭だった。それが1875年(明治8年)の樺太千島交換条約により、ロシアは樺太の領土を得た。日本は千島列島を得たが、それからもロシアとの国境問題は日本政府にとって悩ましい問題となっていく。

それにより、政府は屯田兵をもちいて蝦夷地を北海道に改め開拓を進めていった。

しかし開拓により、先住民であるアイヌ民族は土地や漁場を奪われる形となった。これまで過去二回、アイヌは漁場や交易などの権利で和人と戦争を起こしたが、どれも敗北している。

そしてこの開拓では土地や漁場だけではなく、アイヌ民族の伝統や文化なども否定する政策まで勧められたのだ。

いわば、キロランケが言った、樺太千島条約だけではなく、アイヌ民族は北海道南部でも危機に貧していたのだ。

 

というのがざっくりとした千島樺太条約とアイヌ民族との関係。

ここでまた尾形はキロランケと密談する。

アシリパがこちらにいる限り、刺青の有無を問わず金塊は誰の手にも渡らない。そのことを尾形はキロランケに確認していた。

まーったく目的の見えない尾形の中では、他の人間に金塊を見つけられることを警戒しているように思える。ならばキロランケに協力して、他の人間を出し抜こうとしているのか。

尾形の目的は金塊を手に入れることではなく、手に入れさせないことのようにも思える。

 

と、ここまででもう3000文字を超えてしまったので、一旦締める。

次回は15巻149話のいご草ちゃん回から振り返るので、よろしくお願いします。

お知らせ

1年間、ヤングジャンプに連載があった日は欠かさず続けてきたゴールデンカムイ感想ブログですが、不定期更新にします。

先々週、いやもっとかもしれませんが、休載を知るとほっとしたり、毎朝仕事前にアプリで読むことが辛くなってきていることに気づきました。
あ、これはもう自分の中で趣味じゃなく義務になってるな、と。

6月から仕事が変わり、以前よりスマホに触れられる機会が減り、その少なくなった時間の中で当日に最新話を読み、ブログを更新するという作業が正直辛くなってきました。

加えて原作の展開もややこしくなり、単行本でまとめて読みたいなという気持ちも出てきました。

なので次回からは不定期で、ゴールデンカムイについて思ったことを余裕のある時に更新していけたらなと思います。

今、樺太編(14巻終わりあたり)から、月島過去回までを振り返る記事が下書き保存されています。
これもまだ途中の段階でかなり長くなっているので、更新日は未定です。気が向いた時にでも、当ブログに目を向けてくだされば幸いです。

ゴールデンカムイ221話「理想」

今回の一連の平太師匠は、単なるホラーではなく脳科学から見るととてもおもしろい。
いや、脳科学全然くわしくはないんだけど。ちょっとあちこちから断片的に拝借した知識を持って推測する。私的、道東のヒグマ男。

松田平太、彼の独白とこれまでの行動でしか語られなかったので、真相はどうであるかの確証は、作中にはない。
平太師匠はあの通りイカれているので、彼の言っていたことがどこまでほんとうで、どこまでが妄言なのかの判断がつきにくい。

だが、砂金に目が眩んだ家族を殺したこと。殺しの衝動が抑えきれずに殺人を繰り返したことだけは事実である。
そして、彼が殺人を犯す際、羆の毛皮を被っていたこと。
ではそれ以外に平太が語っていたことはただの妄言なのか。
妄言なのだ。

平太は12歳の時に、恐ろしい羆の話を耳にした。
いつかは自分も羆に食われる恐怖に怯えるあまり、彼は羆に食われる自分を想像した。それも何度も。
何度も羆に食われる自分が脳内に描かれ、次第にそれは空想を越えて「記憶」になったのだ。

人間の記憶というのは実に曖昧らしい。
たとえば映画を一本見た時、すべてのシーンが記憶に残っているだろうか。
映画一本まるまる暗記できる人間はいないだろう。
より心に残ったシーンだけが、断片的に記憶される。そこに、同じ映画の考査を加えたらどうだろう。その考査が、唸るくらい素晴らしいものだったり、衝撃的な内容だったとしたら、自分の記憶にある映画のシーンの一部として加えられてしまうことも、なくはない。

千と千尋の神隠しが、初めて地上波で放送された日。
掲示板にこんな書き込みがあった。
「映画公開初日には別のエンディングが流れた」
その、別のエンディングの内容が、ありえないとは言いきれない内容だったことと、実際に絵コンテとして存在していたこと。(直前で監督がボツにしたらしいが)それらが重なり、実際には誰も見たことの無いまぼろしのエンディングが、あったような気持ちにさせられた人が少なくはなかったそうだ。
実際には、映画のフィルムを交換するなど莫大な金がかかるので、ほぼ不可能な話であるが、劇場で千と千尋の神隠しを見た人の中にも、地上波で初めて見た人の中にも、都市伝説として残された。
たしか、劇場公開から地上波放送までは1年以上の間があった。
「そういわれてみれば、そういうシーンがあったかもしれない」
断片的に蓄積された記憶に、衝撃的で鮮やかな新しい情報が、自分の過去の記憶として、まるではじめからそこにあったかのように存在してしまうのだ。

こういったことは、映画だけではなく、日常的にも起こっている。
だが、平太の妄想は度を越していた。
羆に食われるかもしれない空想が、空想の域を凌駕し、それに加え家族への恨み。
恐怖はストレスであり脳に不可を与える。
現実にいるかどうかもわからない羆が、もし、自分ではなく家族を殺してくれたなら…。
平太は次第にそんな妄想に囚われていったのかもしれない。それは平太の願いだ。毎日祈ったのかもしれない。どうか家族が羆に殺されますようにと。
そして平太の中にウェンカムイが生まれた。平太の願いは、自らの手で実現された。
平太がウェンカムイを頼ったのは、おそらく僅かながらに罪悪感があったからだろう。
殺したのは自分であるという自覚がありながら、どこかでウェンカムイにも罪を擦り付けていたのかもしれない。
自分では止めることのできない衝動性を、ウェンカムイの呪いのように仕立てあげた。そうすることで平太は罪悪感から心を守っていた。

相反する二つの衝動。理性と本能が平太の中できれいに分断されていのである。
これは多重人格の類ではないと私は思う。
多重人格ならば、別人格の時の記憶はないと言われている。だが平太の中には、しっかりと自分が殺した記憶は残っている。
平太は心を守るために、無意識下で記憶を改ざんし、自分の中のウェンカムイが行動を起こしていることにした。恐怖というストレスからの回避。
人間の脳は、一日でおよそ20%のエネルギーを使うとされている。
当然疲れるので、脳はたまに楽をしようと考えることを放棄するという。
平太の異常性は一種の、脳の回避行動ではないかとも思う。

そして殺した人間に成りすます。
これも罪悪感が起因しているように思える。
殺した人間を自分の中で生かすことで、罪から逃れようとしていたのか。そのへんまではわからないが、家族を殺し、孤独になった平太が自分のためにとった慰めにも見える。

ともあれ、大変気の毒な男である。
アシリパのいうように、伝承が正しく伝わっていないせいで、いらぬ恐怖に取り憑かれてしまった平太。
人は不安な情報にこそ興味を抱いてしまう。
週刊誌の見出しが、不安を煽るコピーなのはそのせいである。
いついつ大地震が起こる、年金がもらえなくなる、この食品が危ない。だの、そういったことの方が、鵜呑みにしがちなのだ。


ところで、表紙の煽り分、とんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」の替え歌だ。知っている人はどれくらいいるだろうか。
私は小学生の頃、吹奏楽部だったのだが、あの曲を演奏させられたことを思い出した。
なぜ吹奏楽でガラガラヘビなのか。
今思い出すと不思議である。

ゴールデンカムイ220話「彼らは存在しない」

え、ノリ子あんなブスだったの?
返してよ、俺のノリ子を。

先週の万策尽きた私の予想がぼんやり当たってしまって驚いている。
平太は複数人説。
しかし、家族やノリ子までもが平太の幻覚が生み出した人物だったとまでは予測できなかった。
今までにない心理ホラー回。
原案は小池真理子ではないかと勘ぐってしまう。

話をざっくりまとめると、平太はポン中あるいは、統合を失調してるのではと考えられる。
すべては平太の一人芝居であり、私たち読者が見せられていた一部は平太の幻覚(幻想)だったと言える。

ノリ子になりきった平太。ノリ子という役割を演じ、嵩にいという役割をも演じ、その二人の愛憎劇まで演じた。
それを木の上から盗み見ていた平太は、おそらく平太の幻想だろう。
要は、平太は無意識下でひとり芝居を演じ、それを俯瞰で見る平太本人も存在していたという流れだろうか。

羆の毛皮を被り、自らが羆になりきり殺した人間たちを喰らい、彼らになりきっていた。
平太が襲った人間たちは、たぶん家族でも恋人でもなく、なんの繋がりもない人間たち。
それを平太が食らうことで、赤の他人同士が平太を取り囲む家族であるかのように、平太は演じていたのだろうか。

そして平太はそれらを、まったくの無意識下でやっていた。
だから自らが羆になりきっていることにすら、気づいていない。なので平太自信も、自分が演じた羆を恐れるのだ。
殺した人間を家族(もしくは砂金掘り仲間)のように演じることで、流れ的に次は自分が羆の餌食になると強く思い込んでしまう。
次は自分が羆に殺される。
その恐怖こそが、平太が欲する刺激ではないかと考える。
平太は自らを強い恐怖の中に落とし込むことを望んでいた。深層心理の中で。

ここからは私の勝手な妄想だが、平太は永らくひとりであったのだろう。
その孤独と、山中でいつ羆に襲われるかもしれない恐怖心が妙な反応を起こし、恐怖を孤独を打ち消すための刺激へと変換したのではないかと思う。
もちろんこれも、平太が自発的にそうなることを望んだわけではなく、平太の処世術だったのかもしれない。

恐怖を払拭するには、さらなる恐怖に自らがなるしかない。
彼は、そうして何度も羆になった。
一度はそれを川に捨てた。これは真実かもしれない。
まだ彼に理性があった頃、このままではいけないと羆になることをやめようと思った時があったのかもしれない。
だが彼は羆になることをやめられなかった。やめることのできない理由として、何度捨てても戻ってきてしまう。自分は悪くない。そう思い込むことで、罪の意識から逃れようとしていた。

もしくは、砂金を独り占めしたいがために、同じく砂金掘りをしにきた人間たち(そうでなくても雨竜川に近づいた人間たち)を羆として殺した。
これも自らの手を汚した罪から逃れるためかもしれないが、人を襲う羆が出没するという噂が流れれば、雨竜川に近づく人間も減るという思いもあったのかもしれない。
殺人鬼よりも、羆の方がより人々に恐れられる可能性は高い。
殺人鬼ならしょっぴかれるが、羆は罪に問われない。
平太はウェンカムイという贖罪の皮を被った憐れな悪魔だったのかもしれない。川だけに。

ゴールデンカムイ219話「誰も彼を知らない」

まず一旦話を整理しようじゃないか。

まず平太師匠(今週から師匠にランクアップ)、最初は砂金掘り師の彼だけが羆の存在に怯えていた。
その羆が人を食ったウェンカムイだとも知っている。
彼の証言によれば、そのウェンカムイは、何年も雨竜川付近をうろついている。
平太師匠には、羆にやられたであろう傷がおでこにある。
昔はアイヌと砂金取りをしていた。アシリパ達が探している、アイヌの金塊を一緒に掘っていた時期があったかもしれない。ということは平太師匠の年齢はキロランケやウイルクと同じくらいか。

そして妙に気になる一コマ。
むしろ私は日が明るいにも関わらず、ゾッとしてしまった。え、ちょっと怖い話ならやめて?めっちゃ苦手なんだって。
人形のような表情で、首が不自然に曲がっている。その部分を強調するかのようなベタフラッシュ。
そして木の上から、嵩さんとノリ子のキッスを、文字通り舐めるように見ている平太師匠。曲芸師のような身の子なし。
この2点、これまで杉元達の前で饒舌に語っていた平太師匠とは、まるで別人…というか、人とは思えない。
私の印象は「傀儡」だ。
首が不自然に曲がっているシーンや、高速で舌なめずりをしているシーンでは、カタカタと傀儡が動く時の独特な音が聞こえてきそうだ。

そしてとうとう杉元と白石も羆を目撃してしまう。
羆の存在は、平太師匠の狂言ではなかった。
しかしアシリパが周囲を探索しても、羆の形跡は見当たらなかった。
いるはずのない羆、平太師匠の不可思議な言動、そこにいるはずのない羆の後ろ姿…。
まったくわからねぇ。
何か考査的なものを語ろうとしたが、まったくもって糸が繋がらない。
私が言えるのは、平太師匠複数人説くらいだ。
初登場時に羆に襲われて、辛うじて生き延びたかのように見えたが、あれはもう一人の平太師匠の可能性。
綾波レイのように、変わりはいくらでもいるのだ。

話は変わって、先週初登場にも関わらず、あの色気で一気に女性キャラトップに躍り出た(私調べ)ノリ子。
やっぱりいやらしい女だった。
外国人と知りながらも臆することなく自分のテントに招き入れ、服を脱ぐ。
野外フェスで3日で3人の男を食った(自称)伝説のあの女を思い出す。
ヴァシリも男なので、本能のままに鉛筆を動かす。早い。鳥を描いていた時とはえらい違いだ。エロ絵師の才能がある。スナイパーにしておくのは惜しい(スナイパーとしてもすごいんだが)

先週、ノリ子は平太や嵩さんの兄弟か?などと言っていたが、嵩さんの嫁もしくは恋人だった。
嵩さんは嫉妬してヴァシリを罠にはめたのか。

オカルト的な平太師匠と羆問題に加え、愛憎劇まで追加されてしまった。
どうなる?雨竜川
北の大地に第二次ゴールドラッシュ!謎の人喰い羆と砂金掘り師が雨竜川で見えないものを見せた!東京で夢を叶えるため、砂金で一発当てようとする嵩に、自らの美貌を持て余すノリ子!突然現れた異国の美丈夫!血で血を洗う物語が、今ここに!(川だけに)

ゴールデンカムイ218話「父さん、仕事辞めて砂金掘り師になろうと思うんだ」

こうしちゃいられねぇ!
雨竜川に「ハク」とやらを掘りに行くぞ!
ハク?知ってるぞ!饒速水小白主だろ!千と千尋で習った!
というね、夢とロマン溢れる回。
もう金塊なんて目じゃない。砂白金(おそらくステンレスかと)に取り憑かれる杉元と白石。
余談だが、万年筆のインクは酸性なので、劣化しないように耐酸性の金属が使われているらしい。
よく目にする万年筆のペン先は金色で、これは高級感を追求し最高まで24金にまで上がったが、コストパフォーマンスにおいて優秀だったのが、鉄やステンレス製のペン先。これに金メッキ加工を施していたと、ウィキペディア先生が教えてくださった。

ともあれ、白石はともかく杉元は完全に最初の手段に立ち返った。
なんだかんだ言っても、金を目の前にすると欲望が露わになる人間らしさ。
もうここで砂白金掘って一発当ててヒンナヒンナしようや。おしまい。
…でいい気もしてきた。いやよくないわ。いろいろ置いてけぼりになってる。

ところでこの平太をはじめとする砂金掘り師たち。
平太が三角眉毛の男を嵩にぃと呼んでいるので、この二人は兄弟なのかもしれない。
そうなると、ほっかむりの老人が父親で、坊やはどちらかの息子か年の離れた末弟、ノリ子は老人の娘であり平太たちの兄妹に見える。
平太たち砂金掘り師は、砂金を掘ることを生業としている一家なのかもしれない。

ここでちょっと久しぶりだなと思ったのが、パーティーに女性キャラがいること。
インカラマッや家永(めんどうなので女性枠にする)を率いていた、谷垣さんチームや土方さんチームぶりの、男性パーティーの中の紅一点。
どうでもいいけどこの一家(おそらく)じいさん以外、眉毛が特徴的である。
加えてノリ子、なんだこの艶かしい容姿は。あからさまに泣きぼくろなんてつけおって。あざとい。
けど、ノリ子。掘り師さんチームの紅一点でありながら、身につけているものにきらびやかさがない。
砂金で一日五十円も当てたのなら(当時と現代のレートはわからんが、たぶん相当な額だろう)もっとけばけばしい成金のような格好をしてても良さそうなものかと思ったんだが…。
まあ帯はそれなりに良いものをつけているようには見えなくもないが。
砂金もそう毎日取れるものでもないだろうし、派手な身なりを嗜むほどガッポガッポ儲けているわけでもなさそうだ。五人で生活していく分にはちょうどいい程度なのだろうか…。

そして平太だが、前々回、羆に襲われたかのように見えたが、しっかり生きている。額に傷は残っているものの、どうにかこうにか生き延びたのか。
はじめは平太が尋常じゃないくらい羆を怖がっている場面で、平太がポン中なのかと思った。
あんな冷たい川に入るんだ。ヒロポンでも打ってないとやってられないのだろう、そうか、仕方ないよな。ぐらいに推察していたが、羆はほんとうにいた。
平太は幻覚を見ていたわけではなかった。じいさんしっかり食われてる。
恐れおののく平太には、羆を彫った、なんだろあれ。小物入れ?がぶら下がっている。お守りのようなものなのか。これのおかげで平太は羆に殺されずに済んだのだろうか。
平太は羆と交渉したのかもしれない。どうか自分だけは殺さないでくれと。そのために彼は何かを生贄にした。その罪を忘れないがための、あの小物入れ?なのか。

…なーんて考えもしたが、この漫画、そこまでファンタジーではなかった。
次号予告「誌上最悪の食害事件」と書かれている。
人の味を覚えてしまった羆が、川を汚す人間への裁きをくだす。悪い神になってしまった羆の鉄槌が振りかざされる。
そんな内容なのだろうか。

またもや砂金で一攫千金の夢を見始めた杉元に、目を覚ませ、おまえの目的はなんだ、この漫画の終着点はなんだと、羆がビンタする回。ビンタで済めばいいのだが。

それにしてもこの砂金掘り師のくだりは、今後のストーリー展開に必要な付箋なのだろうか。
サーカス団のような、息抜き回なのか。
ヴァシリは羆をバーンすることができるのか。うっかりするとヴァシリの存在を忘れてしまう。ノリ子の一言がなかったら完全に忘れていた。

217話「突撃!となりのサイコパス」

灼眼のスナイパーてそれ…厨二病アイデンティティを敢えて活字にされた今の気分はどうよ尾形?
「どうやら、俺を本気にさせたようだな」
尾形はおもむろに右目に巻かれた包帯をほどいていった。するすると、尾形の手から汚れた細い布切れが落ちていく。
「あれは…」
解かれた包帯からは、青く光る尾形の目が見据えていた。その目でスコープを覗く。その瞬間に尾形はなんの躊躇いもなく引鉄をひいた。弾丸は1000メートル先の杉元の頭部目掛けて飛んでいった…そう思った刹那、弾丸が杉元の頭部にめり込んで…。
…ってところまで容易に想像できる。灼眼のスナイパー。電撃文庫あたりから出そう。

煽り分だけで300文字近く使ってしまったが、今回の本題はタイトルにも使用した、尾形のサイコパス性について。
これまで何度も言われてきたであろう、尾形サイコパス説。
しかし私は、尾形はこの物語の中で本物のサイコパスに近づいていってるのではないかと思う。
サイコパスの気質はたしかにあった。母親を毒殺した時から。
サイコパスの特徴でもある、罪悪感を覚えない。他人の人生において無責任。そして確信的だったのは、あたかも死に際の杉元に寄り添ったかのようにアシリパに語る場面だ。
サイコパスは、他人をコントロールするのがとても上手い。そのためなら相手の信頼を得るために、平気で嘘もつく。

少し話は逸れるが、某新聞のお悩み相談投稿で2番目に多いのが、他人をコントロールしたいという趣旨の相談らしい。(一番は相続問題)
会社のあの人、辞めてくれないかな。
あの隣人、引っ越してくれないかな。
など、人の悩みは他人を意のままにコントロールできれば解決するものが多いのだ。
しかも、他人が自分の思い通りの行動をとってくれさえすれば、自分のストレスは最小限に抑えられる。
会社でパワハラをしてくる上司が、いっそ転勤にでもなってくれさえすれば、悩みはひとつ解決する。自分が行動を起こさなくても、相手が動いてくれれば、悩みの種がひとつ減るのだ。なんてコスパがいい。
しかし、他人をコントロールするなど、どだい無理な話なのだ。だからメンタリストが書いた本が売れる。普通の人は、本や何かから知識を得ない限り、他人を誘導することは難しいのだ。

だが尾形は、それを息をするようにやってのける。
今回も、波止場のおじさんの涙腺に訴える名演技を披露した。
何が日露戦争帰りだ(これは嘘ではないが)何が棒鱈だ(棒鱈に罪はない)何が年老いた両親だ!!それはおまえが殺したんだろうが!!!
…というように、おそらく書体からいって声音もそれらしいものに変えて演技したのだろう。
馬を盗み、服を盗み、あげく無銭乗船ですよ!ここまでしれっとやってのける男に罪悪感があると思いますか?ないです。それはもう本人が言ってたけど。人を殺して罪悪感を抱かない男ですもの。ちょいとお涙頂戴の話をでっち上げて棒鱈で船に乗るくらい、朝飯前なんですよ。
このように、ずーっと無感情に思えた尾形が、他人をコントロールするために他人の感情に訴える。無感情で無慈悲な男が感情的になれば、これはただ事ではないなと信憑性が増すわけだ。ジャイアン、映画版の心理と同じで。
しかし、尾形がいくら生粋のサイコパスであっても、アシリパをコントロールすることには失敗した。
ここで前途した、尾形がサイコパスになっていく過程を記した。と言った話に戻るわけだ。

尾形は一度失敗した。だがまたもや果敢に?挑戦しようとしている。尾形はまだ諦めていない。アシリパから暗号の鍵を聞き出すことを。
ふつう、諦めない?
だってあんた言ってたでしょ?「ああ、やっぱり俺では駄目か」って。にも関わらず、またしぶとく聞き出そうとアシリパを嗅ぎ回っている。
尾形は挫けない強い子!…ではない。罪悪感がないから、なのだ。
罪悪感を抱かないから、また同じことに挑戦できる。要は反省をしないのだ。

ここで私たち読者は試されているのかもしれない。
最近Twitterで、映画「ジョーカー」についてのあれこれを見かける。
終わった人がよく言っている「俺はジョーカーだったのか…」
そもそもバッドマンシリーズを見ていないので、私はジョーカーも見に行く予定はないのだが、推察するに、ジョーカーという凶悪キャラが出来上がるに至った、どうしようもない境遇の物語なのだろう。
そこで見た人は、「これじゃ俺もジョーカーになっちまうわ…」と、彼の不遇の境遇に同情したのかもしれない。
言っとくが、ジョーカーは見ていない。あちこちから聞きかじった感想を元に想像しているだけだ。
だが、私はこれを同情してはいけない気がするのだ。というか、自分も不憫な出生ガチャだったら、凶悪な人間になっていたかもしれない。かわいそうだ。と思うか否か、倫理観を試されているのではないかと。
たしかに出生ガチャ(生まれの境遇の優劣)は、自分が望んだことではなく、生まれた時から勝手に与えられたものだ。
しかしその後の人生をどう生きるかについては、精査できるものではない。「しょうがない」で片付けられてしまっては、あらゆる犯罪が情状酌量になってしまう。

私たちは尾形に対しての裁判員なのかもしれない。
妾の子として生まれ、両親に愛されず、義弟は恵まれて育ち、上司に駒にされ、挙句の果てには狙撃にとても大切な右目まで失った。
こうして挙げると、尾形に対して同情する要素は揃っている。むしろ同情ビンゴ。
だからといって、尾形がこれまで起こした罪を帳消しにできるのかどうか。
きっと正しい答えなど、最後まで見つからないだろう。白黒決着なんてつかなくてもいい。だってこれ、漫画だもん。尾形、実在してないもん。
けれど尾形は作中において、私たちに考える機会を与えた。
彼がこうなるに至ったのは、果たして仕方の無いことなのか。それとこれとは別なのか。私たちは、議論のテーブルに着くことができた。善悪、倫理、それらと育成環境との拮抗について。明確な線引きやマニュアルもない。だがそれらについて、私のように好き勝手語るのは自由なのだ。だって尾形、実在する人物じゃないし。
ジオンは悪か、いやザビ家がすべて悪い。などと議論できるのも、ガンダムがフィクションだからなのだ。
実際の戦争や犯罪は、選ばれた誰かによって判決がくだる。それについては庶民はどうすることもできない。終わったことをあれこれ言っても判決は覆らない。
フィクションであればこその判断の自由。
あなたは尾形百之助を、どう思いますか?