どぶろく

ゴールデンカムイの感想や個人的に気になったことをまとめています。

ゴールデンカムイ220話「彼らは存在しない」

え、ノリ子あんなブスだったの?
返してよ、俺のノリ子を。

先週の万策尽きた私の予想がぼんやり当たってしまって驚いている。
平太は複数人説。
しかし、家族やノリ子までもが平太の幻覚が生み出した人物だったとまでは予測できなかった。
今までにない心理ホラー回。
原案は小池真理子ではないかと勘ぐってしまう。

話をざっくりまとめると、平太はポン中あるいは、統合を失調してるのではと考えられる。
すべては平太の一人芝居であり、私たち読者が見せられていた一部は平太の幻覚(幻想)だったと言える。

ノリ子になりきった平太。ノリ子という役割を演じ、嵩にいという役割をも演じ、その二人の愛憎劇まで演じた。
それを木の上から盗み見ていた平太は、おそらく平太の幻想だろう。
要は、平太は無意識下でひとり芝居を演じ、それを俯瞰で見る平太本人も存在していたという流れだろうか。

羆の毛皮を被り、自らが羆になりきり殺した人間たちを喰らい、彼らになりきっていた。
平太が襲った人間たちは、たぶん家族でも恋人でもなく、なんの繋がりもない人間たち。
それを平太が食らうことで、赤の他人同士が平太を取り囲む家族であるかのように、平太は演じていたのだろうか。

そして平太はそれらを、まったくの無意識下でやっていた。
だから自らが羆になりきっていることにすら、気づいていない。なので平太自信も、自分が演じた羆を恐れるのだ。
殺した人間を家族(もしくは砂金掘り仲間)のように演じることで、流れ的に次は自分が羆の餌食になると強く思い込んでしまう。
次は自分が羆に殺される。
その恐怖こそが、平太が欲する刺激ではないかと考える。
平太は自らを強い恐怖の中に落とし込むことを望んでいた。深層心理の中で。

ここからは私の勝手な妄想だが、平太は永らくひとりであったのだろう。
その孤独と、山中でいつ羆に襲われるかもしれない恐怖心が妙な反応を起こし、恐怖を孤独を打ち消すための刺激へと変換したのではないかと思う。
もちろんこれも、平太が自発的にそうなることを望んだわけではなく、平太の処世術だったのかもしれない。

恐怖を払拭するには、さらなる恐怖に自らがなるしかない。
彼は、そうして何度も羆になった。
一度はそれを川に捨てた。これは真実かもしれない。
まだ彼に理性があった頃、このままではいけないと羆になることをやめようと思った時があったのかもしれない。
だが彼は羆になることをやめられなかった。やめることのできない理由として、何度捨てても戻ってきてしまう。自分は悪くない。そう思い込むことで、罪の意識から逃れようとしていた。

もしくは、砂金を独り占めしたいがために、同じく砂金掘りをしにきた人間たち(そうでなくても雨竜川に近づいた人間たち)を羆として殺した。
これも自らの手を汚した罪から逃れるためかもしれないが、人を襲う羆が出没するという噂が流れれば、雨竜川に近づく人間も減るという思いもあったのかもしれない。
殺人鬼よりも、羆の方がより人々に恐れられる可能性は高い。
殺人鬼ならしょっぴかれるが、羆は罪に問われない。
平太はウェンカムイという贖罪の皮を被った憐れな悪魔だったのかもしれない。川だけに。